座席指定変更のページ

 無人化が進んでいる。
 客が先方の労働力の一端を担わせられる仕組みだが、自己完結したい人に
は人気だとか。
 でも、駅の券売機の前でどのボタンを押したらいいかわからなくて立ち尽
くしている人を見ると、もちろん手助けするけど、私もそうなるかもしれな
い日を想像させられる。
 近くのスーパーマーケットに、専用タブレット端末置きが付いたカートが
出現した。
 私は買い物中、
「今日これが安いんだ。だったら、あれを買って、買うつもりだったこれは
返そう」
 と考え行動するのに忙しくて、買う物をタブレットにかざすような悠長な
ことをしている暇はない。
 けど、こんな私がすべからく自己完結に否定的かというと、そうではない。
 フランス行きの飛行機の手配を旅行代理店に頼んだ。
 座席指定は選択可能な番号を言ってもらい、私が選択。担当者と電話で話
しながら、私は私のパソコン上でJALの座席一覧を見ていたのだ。
「トイレから遠い窓側の席」
 と希望を伝えたあとは担当者に委ねるしかなかった時代を思うと、この曇
りのなさは実に爽快。
 だが困った。
 座席指定したあとでもインターネット上で変更できるので、そのページに
入ろうとしたら、入力内容は正しいのに、間違っているという警告。
 JALのホームページから直接でも、検索エンジンに「JAL 座席指定
変更」と入力しても同じページが出るので、もしや予約が取れていないのか、
と心配になってきた。
 代理店に確かめたいが、もう夜。
 翌朝まで持つ辛抱ができなくて、入力の単語を変えたりして悪足掻きして
いたら、JALの公式ページだがこれまでと違うページが出て、そこからだ
と座席指定変更のページに進めた。
 このページに遭遇できなければどれほど不安だったかと思うと、原因を知
りたい。
 しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れる。
 もし多くの人に同じ現象が起こっていたら、誰かが声を上げるだろう。
 でも、ことスーパーマーケットのカートについては意見した。
 端末置き付きカートだと、選んだ物をカゴに入れる時や精算後に取り出す
時、いちいち行動を阻害されて、イラッ。
 タブレット端末置きなしのカートを使いたくても、ない時がある。
 あっても、端末置き付きカートの奥に並んでいて、取り出せない、などな
ど。
 同じように困っている人はいたようで、朝礼でその話が取り上げられたそ
うな。
 カートは、係の人がこの二種類を分けて整頓してくれるようになった。

 

                         ★★★

             次回は5月4日の予定です。

薬がない

 派遣で大学病院の事務をしている友が契約更新しないと決めた。
 忙しすぎる。
 それも、ファックスのやりとりだとか今どきあり得ぬ前近代的な仕事のや
りかたのせいだと言う。
 私が通院しているクリニックは、患者の合意があれば提携先の大学病院と
私の医療データを共有する体制にある。こちらの大学病院は進んでいるのか
なあ。
 そう言ったら、医療関係者から全力で否定された。
 日本は、個々の大学病院に自由はない。
 一方、身近なクリニックに目を転じれば、処方箋を出してもらっても、そ
こから患者の受難が始まる。
 去年の春。
 処方箋を持って薬局に行ったら、
「この薬は今切れていて、いつ入ってくるかわからないんです」
 と言われたので、
「じゃあ、在庫のあるこの薬はここで買わせてもらって、ないのは持ってい
る所を探してそこで買います」
 と言ったら、処方箋を二つに分けることはできないと言われ、ないと言わ
れた薬を持つ薬局を探して電話しまくることになった。
 どこも処方箋に書かれた量を持っていない。その中でも一番多く持ってい
る所で買うことにして、その旨クリニックに電話してもらうが、修正された
処方箋の原本は私がクリニックに取りに行かねばならず、半日が潰れた。
 一月にアレルギー症状が悪化したが、気管支系疾患の患者の多さを耳にし
ていたので、診察予約の前日、薬局に問い合わせたら、既視感。
 しかも薬の先発品も次回の入荷は不明だと言われる。
 大手薬品製造メーカーに勤めていた知人から、ジェネリック医薬品の製造
現場の品質管理のずさんさは目も当てられないと聞かされたら、先発品、と
思うも、先発品の製造は国のジェネリック市場拡大方針を受けて縮小されて
おり、不正問題発覚でジェネリック医療品が欠品しても、すぐには先発品を
増産できない。
 ジェネリックで薬価を抑えるのはよかろう。けど、研究は十年前のアメリ
カの後追い。新薬開発の力もない。それでも普通の病気の旧来の薬は普通に
買えて然るべきだろうに、そこに皺寄せが来て、大混乱。
 なのに国はジェネリック医薬品促進に躍起で、先発品の薬価を上げること
を検討しているとか。
 若い医者の医療倫理も変わってきた。
 要は糸がこんがらがっているってことですね。
 利己主義だけど、私は必要な薬が買えたらいいだけなんですが。
 そのために声を上げないだろう、日本人は声を上げない。
 訊ねれば、人々はいろいろ語ってくれる。

大型スーツケース

 アメリカではスーツケースの鍵を閉めていたら空港検査で無理矢理こじ開
けて壊される、とアメリカに住む友達から聞いた時、わかるけど、鍵を閉め
られないのは不安だと思ったら、そう思う人は多かったようで、今売られて
いるのには鍵穴が付いている。ただし、鍵を持っているのは空港職員。スー
ツケースの持ち主は三桁の暗証番号で錠をかける。
 まあ、私が行くのはフランスだから、鍵式でいいし、実際、私は古い鍵式
のを持って行く。
 ならば、機内持ち込みキャリーケースの購入を決めたあとは、その支払い
手続きに進めばいいだけだが、私は大型スーツケースについて訊ねた。
 前日にこのデパートの郊外店で相談して、見た目は綺麗でも車輪は特に経
年劣化が起こりやすいから、粉がぽろぽろ落ちないか、車輪がへたっていな
いか、ちゃんと動くか確認した方がいいと言われ、家に帰って動かして、問
題はなさそうだと思ったし、今回は、空港内ではカートがあり、空港と家の
往復は日本でもフランスでも車なので、万一壊れてもなんとかしのげる、と
判断。
 でも、「なんとかしのげる」は危なっかしい。
 それで、ここの店員にも訊ねたのだった。
 すると、家の床は平らなので試すなら外でないと、と言われる。
 じゃあ私としては、家に帰ってもう一度試す。それか、なんとかしのげる
以上の安心がほしいと思ったら、新品を買う。
 二つに一つ。
 だが、どちらとも決めかね、とりあえずJALとエールフランスのどちら
の規定にも合う最大サイズのを出してもらったら、やたら大きい。けど、そ
う見えるだけで、床に置いて開けると、床を占領する面積は旧来のスーツケ
ースより小さくなり、こういう進化も起こっているんだなあ。
 買うならこれ。
 けど、高い。
「来月から価格改定になります」
 と言われても、私の心は動かされない。
 事前に、もしかしたら買うことになるかも、と思っていたらまだしも、そ
ういう予想はゼロだったからだ。
 こういう時、私は時間を置く。
 すると、必要なのだから買うしかない、と明るい諦めで腹が括れる。ある
いは、別の方策を思い付く。
 しかし、すでに三時間あまり経っていて、買うのであれば、この流れに乗
って今、だろう。
 ということで、このスーツケースの購入も決めたので、機内持ち込みキャ
リーケースと合わせて二つ。
 散財ではない。
 衝動買いではない。
 でも、ストレスは最大。
 その場で即決と私はかくも相性が悪い。

機内持ち込みスーツケース

 フランスで私を家に泊めてくれるAnnieに土産は何がいいかと訊ねたら、
去年彼女の娘が日本を訪れた時に買って帰ってくれた和菓子をまた食べたい
と言う。煎餅だ。
 一方、娘の方は、缶に桜の絵が描かれた春限定のクッキー。
 要するに食べ物なんだ。
 それが一番喜ばれるのなら、ほかの人達への土産もそうしよう。
 ただ、全部で七つとなると、大きめリュックでも入らない。
 機内持ち込み用スーツケースがいる。
 以前持っていたのは外側に資料などを入れられるポケットが付いて重宝し
たが、今巷で見かけるのはスーツケースの小型版で、目的地まで一度も開け
ないのが前提。
 今の主流がそうなら、受け入れるしかない。
 機内持ち込み用の中から店員が一番お勧めだと説明してくれたのを選んだ。
 セール価格になっていてありがたいが、黒い色はなんだか仕事の出張用み
たい。
 旅行用なら赤の方が目立っていいし可愛い、と店員と意見が一致。
「買っても買わなくてもいいので、取り寄せます」
 と言ってもらった翌日。
 そのデパートの本店に立ち寄る時間があったので、売り場を覗いた。赤色
の現物があれば見たいと思ったのだ。
 なかったが、飛行機に乗ると言ったら、航空会社によって機内持ち込み用
サイズの上限が異なるので調べた方がいいと言われ、えっ。
 でも、私はガラケー
 すると、その店員は自分のスマホを持って来て調べてくれ、前日取り寄せ
を頼んだ赤色のキャリーケースは、パリまでのJALでは問題ないが、乗り
継ぐエールフランスではサイズオーバーになると判明。
 じゃあ、規定内の最大サイズのは、と聞くと、選択肢はなく、一択。とこ
ろが、外ポケット付きで、あっ、あるんだ。
 前回これをキャリーケースと書いたのは、こういう形のはスーツケースと
呼ばないと思ったからだが、どちらでもいいらしく、日本語はむずかしい。
 なんにせよ、この店員のおかげで、エールフランスで超過料金を取られる
羽目になるのを回避できたし、買うべきのも見つかった。定価なのはかまわ
ない。
 ただ、予想外に高くて悩む。
 いや、友人達に泊めてもらってホテル代が浮くことを思えば、ここで悩む
のは違うだろう。
 まず前日の店員に電話をし、
「同じメーカーのを買ってもらうのですから、全然、大丈夫です」
 と言ってもらってから、目の前のを購入することに。
 が、さらに大型のスーツケースも買うことになり、久々の海外旅行は、旅
費以外の出費が嵩む。

セール品なのに

 去年の十二月にアニーと電話で話した際、いつフランスに来るのかと問わ
れ、
「来年か再来年ぐらいには」
 と答えたのは、成り行きで適当に答えただけだった。
 でも、バッグを探し始めた。
 たすき掛けにする革のバッグ。
 以前は持っていたが、革の良きくたびれ具合を通り越して寿命が来たよう
に見え、処分した。
 こういうデザインは定番、いつでも見つかる、と思っていたら、ようやく
見つかったのは去年の秋。購入は保留にしたけれど、そのうちフランスに行
く可能性があるなら、それを買っておきたい。
 しかし、一点のみの入荷で、売れて、もうない、と言われ、逃した魚は大
きい。
 しょげる私に、
「取り寄せます」
 と店員。
 ただ、もうセールが始まっていて、セール品は絶対に買うという前提がな
いと他店から取り寄せてもらえない。
 私は見てからでないと決められない。
「キャンセルしてもいいです」
 えっ、本当ですか。
 買う気満満で見に行った。
 再び、決めかねる。
 正確な長方形ではなく、上部が若干幅広で台形のような形になっているせ
いかもと言われると、なるほど。
 ノートパソコンが入る大きさが気に入っていたが、普通のバッグとして使
うのなら、その大きさ重さは私の手に余る気がして買う踏ん切りが付かなか
ったのだとわかった。
 これより小ぶりのバッグを見せられる。
 前回も勧められたが、その時は、まごうことなき正方形というだけの素っ
気さを、あまりにデザイン性がない、とけんもほろろにけなした私。
 ところが、改めて鏡で見てみるとこの方が良さそうに見えてきて、時が変
われば心が変わり、ああ、信用できぬは我が心なり。
 けど、それを言うならこの店員もそうで、前回私が一蹴した時は、頷き、
私に同意してくれたのに、今回は私に合うと言う。
 私の揺れる心を察知したせいだ、客が白と言えば黒でも白と言う職業だも
の、と意地悪な見方もできるけれど、
「前の時は、私に言われ負けしたんですね」
 だって、この店員がキャンセル可で取り寄せてくれたおかげで、私にとっ
ての正解を選ぶことができたのだ。感謝だ。
 次は機内持ち込み用のキャリーケース。
 そのコーナーで店員の説明を聞き、セール価格になったコレ、と決めるも、
赤の方が可愛いと互いの意見が一致。すると、キャンセル可で赤色のを取り
寄せてくれることになり、既視感である。
 ところが、別のキャリーケースをほかの店で買うという結末になった。

旅行の日程

 私は、フランスは、ブルターニュ地方に住み、次がパリで、住んだ期間は
パリの方が長いが、今も交流があるのはブルターニュの人達だ。
 その中の一人、アニーと去年のクリスマス前にインターネット電話で話を
したら、
「息子が結婚する」
 アニー夫婦の敷地内に家を建て、幼い子供もいるが、籍は入れていなかっ
た二人が、生涯別れないと確信が持てたのか、結婚を決意。
「式のあと、息子夫婦は二週間ほど休みがもらえるはずで、そのあいだ、私
は孫の世話から解放してもらう」
 フランスには自宅で数人の子供を預かる保育制度があり、それを利用して
いても、来週から私はバカンスです、と保育士に言われたら、
「かあさん、お願い」
 とアニーが当てにされる日がさらに増える。
「私だってバカンスがほしい」
「そうですよね」
 すると、アニーが言った。
「ねえ、一緒に観光しましょ。そうだ、結婚式に出席してよ。あ、でも、前
日には親戚が泊まるから、あなたの部屋がない・・・」
 アニーの一番上の娘は、去年の七月、家族で来日した。
 私は彼女を通じてアニーと知り合ったのだ。
 日本から帰る前に、
「フランスにはいつ来るの」
 と聞かれたが、ほかにも私が来るのを待ってくれている人達がいる。
 そろそろ行かねば。
 でも今年は・・・。
 じゃあ来年ならいいのかと自問すると、重い腰が上がらないだけの自分自
身に気づく。
 家に泊めてもらう前提の旅は恐縮だが、それでいいと言ってくれるのなら、
アニーに時間ができる次の機会を待つと言ったら、
「親戚はどこかに宿を取ればいいんだわ」
 えっ。
 けど、アニーは次女の二人の子供の面倒も見ている。それは、結婚式のあ
とも、いつも通り頼まれるのではないか。
「クリスマスに家族が集まった時にみんなに話すから」
 私は行くことになるのか。
 もしそうなった場合、行くことを知らせないのは大いなる不義理となる友
人夫妻がひと組。が、彼らからのクリスマスの手紙に、多忙続きで来年も日
本への旅行は実現しそうにない、としたためられていたので、今回は泊めて
もらうどころか彼らと会うのも難しそうだ、とアニーに伝えておいた。
 年が明け、メールが来た。
 この夫婦と話し合った結果、私はまずこの夫婦宅に泊まり、彼らと一緒に
アニーの息子の結婚式に出て、私はそのままアニー宅へ、ということで、そ
の日程も記されている。
 旅行ってこうやって決まることもあるんだ。
 あるのか・・・?
 不思議な感覚。

初・点滴

 歯医者の予約を延期してもらった。
 悪くなったら喘息になる、というアレルギー持ちの私は一月に症状が出た。
 漢方薬をのむも治まらず、通常以上服用するが効果がない。
  さらに症状が悪化した一月末には薬が切れかけ、一週間後の診察日まで待
てず、こちらは予約を一週間早めてもらった。
 漢方薬と吸入剤を処方されたが、
「点滴しとく~?」
 この軽い言い方は患者に深刻さを感じさせないためだろうか。
「えっ、栄養は足りています」
 ちょっと調子が悪くて医者に行き、自ら点滴を求める患者がいると聞いた
ことがあり、そう見られたのか、と思ったのだ。
 私の場合は、肺に繋がる気道の炎症を抑えるためだった。
 それも、まずは手動で速やかに気道の炎症を鎮める薬を入れ、そのあと自
動に切り換える。普通は初めから全ての薬を入れて自動で点滴するらしく、
それほど私の症状は早急な処置が必要だったらしい。
 点滴の針を刺してから、痛くないかと看護婦さんに問われ、
「痛いです」
 だって、針が入っている場所を感じるし、その周辺もちょっと違和感。
「ちゃんと血管に入っているので、もう一度刺し直すのはもったいないんで
すけど・・・」
「あ、いえ、感じる、と言うだけで、これを感じないというのは鈍感なんじ
ゃないかと思っただけです」
 そういう私は敏感かというと、突発的に咳が出て発話が途切れるのは鬱陶
しいが、別にしんどいとは感じないので、皆からしんどそうと見られるのが
解せないとしたら、鈍感、ということになる。
 点滴で気道の狭窄が改善されると楽になったと実感。私は単に悪い体の状
態に慣れてしまっていただけかもしれない。
 念のために一週間後にも受診、ということになり、また点滴。
 この時は、手動から自動に切り換えられた際、
「痛いです」
 点滴が漏れたらしく、その時の痛みを確実に学んだ。
 それから日が経った。
 今は口を閉じていても喉が渇く感覚はなくなったし、咳も思い出したよう
にしか出ない。
 でも、歯医者で診察台に座り、大きく口を開いて掃除してもらっているあ
いだに出たら困るし、出ないでほしいと思い続けるのは緊張するので、今朝
になって延期してもらった。
 頭の回転も悪い。集中しようとするのに、できない。
 一度発症したら快復まで時間がかかる。
 発症したくない。
 去年は発症しなかった。
 あっ。
 去年は新型コロナ対策でマスクをしていた。
 冬はマスク。そういうことか。
 来年は忘れない。

親切ごかし

 この二週間ほど、喋ろうとすると咳が出る。
 アレルギー症状が悪化した。
 そんな中、叔母から電話。
 去年の十二月に、関西電力から、電気使用量のお知らせはインターネット
での確認になるので手続きを、もし今後も紙を希望の場合は毎月百十円加算
になる、と連絡が来たと相談があった時、これを機に大阪ガスでまとめて支
払うことにすれば、
「うちはそうしてるよ」
 と私は言った。
 が、大阪ガス指定の担当者の試算によると、使用量が少なすぎて、まとめ
たら若干割高になる。
「しばらく様子を見たらどうですか」
 と言われ、迷ったけれど、私と話をしているうちに、紙の発行手数料の場
合と比較して年間コーヒー一杯ぐらい高くなるだけなので、大阪ガスでまと
めると決め、担当者に依頼して手続き完了。
 今回はその件の続きだった。
 少し前から〇一二〇で始まる番号で電話がかかってくる。
 担当者に大阪ガスから確認の電話が来るかもしれないと言われていたとい
うので、だったら出るべきだろう。
 実際、息子の妻に話すと、調べて、
大阪ガスの番号です」
 と言われ、息子は、
「何かあったら僕が責任を取る」
 と言ってくれたという。
「でも、さっきは〇六から始まる電話がかかってきた」
 私は叔母と話しながらパソコンで調べていて、それも大阪ガスの番号だと
伝えた。
 すると、娘に、知らない番号の電話には出ないように、出て、何かあって
も知らないから、ときつく言われ、
「だから出るのが怖い」
 と言う。
 叔母の娘すなわち私にとっての従妹は、彼女自身、登録していない番号か
らの電話に出ない。そのせいで、私が家の固定電話から電話した時、五時間
ほど断続的に電話するも全然出てくれず、何か遭ったのか、と不安にさせら
れたのだった。
 登録していない番号とは言え、かかってくる予定の大阪ガスの番号だとわ
かっても、それでも無視するのが賢明なのか。
 大阪ガスは困るだろうなあ。
 万一の時は息子が責任を取ってくれると言っているのに。
 叔母は、私と話して安心できた、次にかかってきた時は出る、と言った。
 ここに至るまで一時間。
 それはいいのだが、途中、
「菊さん。えらい咳してるね、水飲んできたら」
 叔母が突然言い、私の体調が気がかりだと言いたかったのかもしれないけ
れど、さっさと話を切り上げる気はないのなら、そんな親切そうな言葉を言
われても、私は困惑するだけ。
 本当の親切とは違うから。
 私は心底イラッとした。

日本のドラマ

 日本のドラマを見なくなって久しい。
 ドラマの常套手段っぽい技巧が、つまらない。
 たとえば、ドラマの中の登場人物はみな、あまりにあっさり本音を語る。
 現実世界では、人は、心の奥底の思いをそう簡単には口にしない、できな
いのに。
 性被害の告白までに何十年もかかるのも、戦争で人を殺した悪夢が脳裏か
ら離れず日々酒に溺れ、何も語らず一生を終える人がいるのも、そういうこ
とだろう。
 それに、これは自分の本心、と思っても、その下に、自分が気づいていな
い、気づきたくない感情が隠れていることもあって、厄介なのだ。
 なのに、人の心を単純化
 だから心に響かない。
 けど、あざとさはある。
 主人公が相手に激しい嫌悪感を覚えたけれど、その後、相手の意外な背景
や心境を知って、心が変化する、みたいなのを伏線回収と言うらしいが、あ
あ、また、ここでも、とうんざりし、ほかに人の描き方はないのか、ドラマ
に進化はないのか、と思う。
 一方、映像の質は、過去を舞台にした中国ドラマを見始めたら、衣装や建
物、調度品など、テレビの連続ドラマでもこんな本物が見られるんだ、と知
り、もう、それと同等あるいはそれ以上でないと満足できない。
 話の筋は大人だし。
 人は老獪、という前提に立ち、そういう者同士が相手を自分の意に従わせ
ようと画策するのに、情や泣き落としのようなあやふやさには頼らない。精
神が大人なのだ。
 ただ、今まで私に馴染みがなかった国のドラマなので、私の見る目が甘く
なっているだけ、という可能性はある。
 それでも面白いと思うのは本当なので、もし私が書く作品がドラマ化され
るようなことがあったら、私がすごいと感動させられた中国ドラマの制作者
にお願いしたい、と夢見る。
 そんな話はあり得ぬ私ですらこんな発想ができるのだから、その道のプロ
はもっと本気で世界を視野に入れているだろう。
 良い時代になった。
 と思っていたら、『セクシー田中さん』の漫画家、芦原妃名子が、ドラマ
化された内容に絶望して自殺。
 ドラマ化とは、原作の世界観を映像でどう表現するかに挑戦する文化のい
ち分野だと思っていたのは、おめでたい素人考えだったみたい。
 原作の屋台骨だけ借りて全然別物の話を作る能力があるのなら、一からオ
リジナル作品を作ればいいのに、と思うのもまた、世間知らずなのだろう。
 私はドラマ制作の性善説を信じたかったのかなあ。
 ま、日本のドラマは見ないからいいんだけど。

シクラメンと将棋

 初めてシクラメンを買った時、もう、この花なしにはわびしい冬を生き延
びられないと思った。
 年明けに値下がりした鉢で、花が終わったら、夏越しさせて、翌シーズン
にも花を咲かせるべく奮闘。
 が、無理だったので、その冬には、店にたくさん並んだ時に早々に、一番
好きなのを買った。
 ひと鉢だけでは足りなくて、値下がりしたら買い足すほどシクラメンに入
れあげて。
 ところが、今年は買わなかった。
 家の明るい窓際に置いて楽しむシクラメンは底面供給式だ。
 鉢が二重になっていて、外側の鉢の下の方に穴が開いている。そこから水
を遣るのだが、まだ水が溜まっているかをまず確認せねばならない。
 花がら摘みも、花の様子を見て行なうので、やっぱりちょっと面倒。
 でも、どちらも、いそいそやっていた。
 なのに、ふと億劫に感じたのだ。
 そして将棋。
 現在八冠の藤井聡太の強さが取り沙汰され始めた頃、Abema将棋チャン
ネルで対局を観られると知り、見始めた。
 棋士二人が将棋盤を使って解説してくれるが、私にはちんぷんかんぷん。
 次の手が打たれるまでの座持ちで語られる彼らの雑談が聞きたいわけでも
ない。それが証拠に音を消すことも多々。
 そのライブ配信のサイトは、パソコンで作業中のほかのページの後ろへと
追いやられていくが、時々気になったら手前に呼び戻し、対局者の恰好良い
着物姿のスクリーンショットを取る。おやつや昼食も。
 私は将棋に何を求めているのかと自分で自分に聞きたくなるが、パソコン
上で作業しているあいだの良き気分転換になってくれているのかも。
 それでいいのか。
 そんな心の声が届いたからではないだろうが、突然、Abema将棋チャン
ネルでこれまでのように無料ライブ配信が見られなくなった。
 無料でも見られるが、カメラ位置は固定、画質は落ちた。
 ただ、対局者の溜め息をマイクが拾う静けさで、対局場はこんなに厳かな
雰囲気だったのね。
 将棋盤で現状を確認できたら十分な人には、この方がいいかも。
 でも、私は対象外。
 私は、これを機にそろそろ卒業したら、と言われた気がした。
 シクラメンも将棋も、それなしでは毎日が味気なかったはずなのに。
 それはちょうど新型コロナウイルスの自粛期間に重なる。
 普通に仕事に行き、暮らしていても、気持ちは何か制限されているような
灰色になっていたのか。
 そんな私に優しく伴走してくれたシクラメンと将棋。
 感謝しかない。

テレビのリモコン

 レーザープリンターのトナーが急遽必要になった時、近くの店舗から取り
寄せて、その日中に私に購入させてくれた店が、テレビのリモコンの時は私
に二度手間を取らせた。
 これが後継になる、と見せてくれたリモコンは、でも、すべてのボタンが
私のテレビと連動するかはわからないと言い、それでもいいと言っても、売
り渋る。
 不満だが、これこそ客への誠実さだとわかるから、諦め、それまでどおり、
リモコンボタンの上下の矢印を押して選局する方法に舞い戻った。
 これでも用を為すので慌ててリモコンを買い換えずにいたら、ずるずる月
日が経ち、指は、選局はこの方法、と覚えてしまっている。
 でも、たまにイラッ。
 見たいチャンネルの数字ボタンを押すのと比べると、今このチャンネルが
映っているから、上向きの矢印を押して、また押して・・・と画面が切り替
わるのを見ながら考えることを強いられるのが煩わしい。
 テレビを買い換えたら。
 値段が高い。
 パソコン関連なら高くても甘んじるのに、テレビはそうできないというの
は、私の中でテレビはその程度の存在、ということなのだろう。
 それに、使っていないテレビがあるから、それと交替すればいい。
 じゃあ、このテレビはどうする。
 廃棄か。
 リモコンのせいでテレビを廃棄するのか。
 もったいないなあ。
 ここに至り、ようやくメーカーに問い合わせてみたらどうだろう、と閃い
た。
 メーカーの回答を聞いたあとなら、迷いは消える。
 この時は、なぜか電話で問い合わせた。
 すると、リモコンが本当に壊れたのかをまずは確認させてほしいと言われ、
「えっ」
 私は心がつんのめる。
 渋々、言われたボタン操作をしたら、やっぱり修理か買い換えだと言われ、
だから私がそう言ったじゃない、と心の中で私。
 だが、本当に壊れたのか確認してから、というのはメーカーとしては順当
なる対応だろう。
 買い換えを望んだら、今度はすぐに後継の品番を教えてくれた。
 件(くだん)の店で取り寄せてもらい、一件落着。
 だが、私は幻惑されていた。
 品番は私のリモコンとまったく同じで、私は、持っていたのとそっくりそ
のままの新品を手に入れたのだ。
 なぜ、一度目で買えなかったのか。
 店で扱うには値段が安すぎ、取扱い品番リストにもないとなったら、店は、
そのリモコンの製造は終わったと判断しても仕方ないだろう。
 なんにせよ、今は快適。
 ただ、指は矢印ボタンで選局したがる。

レーザープリンター

 年賀状はカラー印刷の方がいいんだろうな。
 でも、私はモノクロで印刷。
 年賀状のカラー印刷より、速く大量に印刷できることを優先して、レーザ
ープリンターを使っているからだ。
 だが、印刷することがめっきり減った。
 紙に打ち出さなくてもパソコン上で同等レベルの作業ができるよう私自身
を訓練したこともあるかもしれない。
 今や、一番印刷枚数が多いのは年賀状。
 でも枚数自体が少ないので、トナーの買い換え表示が点滅しても、ヒヤヒ
ヤしつつ、まだ大丈夫、と印刷して、大過ないと、ロシアンルーレットで勝
ったような気分になり、去年の年賀状印刷もこの調子で乗り切るつもりだっ
た。
 ところが、その前にA四用紙を百枚ほど印刷する必要ができ、限りなく残
量ゼロに近いトナーではさすがに無理だろう。
 メーカーのオンラインで注文すれば翌日届く。
 Amazonは考えない。
 以前、店に買いに行く時間がなくてAmazonで買ったら、トナーの残量が
ゼロに近づいた時点から、印刷した文字の一つ一つに濃淡ができ、文字で濃
淡のある波の絵を描いているように仕上がって、Amazonからの発送という
のはメーカーの純製品だと保障するものではないと学んだのだ。
 純製品なら、トナーの買い換え警告が出ていても綺麗に印刷してくれて、
これ以上は無理となった時点でパタリと印刷できなくなる。
 ただ、残量表示では本当の「その時」がわからないのが困り物。
 いや、さっさと予備のトナーを買っておけばいい。
 実は、本体の用紙カセットからの紙の供給に不具合が起き、トレイからの
印刷はできるので、それを利用していて、このトナーが尽きたらプリンター
を買い換えるつもりで、その時がいつになるかもまた、ロシアンルーレット
に挑む心境だったが、明日印刷を仕上げねば、という必然に迫られたら、ト
ナーを買う以外の選択肢はない。
 一応、馴染みの店にも問い合わせたら、在庫はないが夕刻には購入可能と
いう離れ業を実現してくれて、綱渡りの綱を渡りきれることになった。
 けど、A四百枚も年賀状も今のトナーで印刷できてしまい、その日中に他
店から取り寄せてくれるべく奔走してくれた店員に、このことは口が裂けて
も言えない。
 だからここに書くことにしたが、こんな客本位の店でも不得手なことはあ
るらしい。
 古いテレビのリモコンの代替品を結局は買えたが、一度は断念させられた
のだ。
 私のアプローチ法が間違っていたせいだ。

新年の抱負

 朝、目覚ましは必要ない。
 けど、ガラケーを目覚まし代わりにしている。
 ただ、目覚めかけの時なら辛うじて聞こえる程度の小さな音量にしてある
し、ベッドから遠い机の上に置いてある。
 寝過ごしてはいけない時は枕元のアナログ時計の目覚ましを鳴らすから、
ここまで書いて、自分でも、ガラケーのアラームは必要なのかと思えてきた
が、忘れていた。私は夜になるとガラケーの電源を落とすのだ。
 なので、朝の目覚ましの時刻直前にケータイの電源が入ってくれるのは、
必須なのだった。
 起きたら、机の上のケータイを手に取り、待ち受け画面に戻す。
 ところが、去年の年末。
 ケータイの画面が暗い。
 前日、一時的にアラーム設定して鳴らす必要があった時に、誤って目覚ま
しの時刻をオフにしてしまったのかなあ。
 電源を入れる。
 立ち上がる。
 すぐに画面が暗くなる。
 青ざめる。
 あろうことか、ケータイの店も、もう年明けまで休みに入ってしまってい
る。
 いくら普通の人と比べものにならないぐらいケータイへの依存度が低いと
しても、年明けまでこの状態が続き、かつ、そこから修理ということになる
と思うと、溜め息が出る。
 だが、私には経験があった。
 テレビのリモコンが、随分前から、特定のチャンネルのボタンは、押して
も反応してくれなくなり、チャンネルを上方向か下方向に動かしてチャンネ
ルを選べる機能を使うことで乗り切っていた。
 iMacのマジックマウスは突然壊れた気がしたけれど、思い返すと、電源が
入っているのにパソコン上でマウスの矢印が動かなくなることが頻発してい
た。
 でも、ケータイにはそんな予兆は一切なし。
 だから困惑なのだった。
 私は充電してみようと思った。理由は自分でもわからない。
 ただ、すぐに、充電が切れかかっているという警告が出て、そういう警告
も出せないほど、電池がなくなっていたらしい。
 私は気が抜けた。
 せめてもの救いは、こんな朝早くに連絡してくる人はいないことだ。
 のはずが、充電開始直後に叔母からショートメール。
「今、ちょっと電話してもいいですか」
「いいよ」
 叔母からすぐに電話がかかってきて、私は何ごともなかったように応対す
る。
 でも、脳内の活火山状態はまだ治まっておらず、しばし非現実を生きてい
るような感覚が続いた。
 それもこれも原因特定の正しい手順の第一歩を誤ったせいだ。
 今年は、こういう愚かしさはないといいな。

アジアのテレビドラマ

 今日は二度寝し、起きたら八時四十分。
 平日なら間に合っていなかった。
 以前はテレビの情報番組を聞き流していたが、面白くなくて、チャンネル
を回したら、中国ドラマの『陳情令』で、一瞬にして引き込まれ、以来、八
時半からはテレビドラマを見る時間になったのだ。
 今は韓国ドラマの『トンイ』をやっている。
 王宮のセットは作り物めいて、やや興ざめ。話の筋も、覇権争いや裏切り、
嫉妬など、ドラマの定番を時代や場所を変えて見せられているだけ、と思わ
ないでもない。
 それでも見ているのは、出演者の演技に、チャンネルを変えたくなるよう
な痛ましさがないからだろう。
 筋書きは極上、出演者の演技も見事で、私の中で『陳情令』と双璧を為す
のは、九時半から放送の韓国ドラマ『ポッサム』だった。
 今週で終わってくれてよかった。
 そのあとの新ドラマには興味を惹かれなかったので、九時半からは自由な
時間が戻ってきたのだ。
 ところで、ドラマの中で男も女もよく泣く。
 日本では目薬を使うと読んだか聞いた記憶があり、同じなのだと思ってい
たが、本物の涙が流れているようにしか見えない。
 涙も演技のうちなのか。
 私は、『ポッサム』で心揺さぶられる場面が来ると、その気持ちをさらに
高ぶらせて、泣こうとしてみた。
 成功することはある。
 でも、表情を変えずに涙をツツーッと流すことができない。
 やっぱりプロはすごいんだなあ。
 日本の古い時代劇のドラマを再放送しているようなので、ちらっと見たら、
やっぱり善が悪を成敗する物語。
 中国や韓国の場合も最終的にはそうなるとしても、一直線にはそうならな
い。悪の側は策を弄して権力を奪おうと立ち回るし、善の側は悪の言い分を
受け容れるしかなくなることが起こるし、背信も。人は我が身可愛さで行動
する、という道理に則ったせめぎ合いが幾重にも積み重なって話が展開する。
が、悪の中にも善あり、逆も然り、という人間らしさも加わるから、話が一
層複雑になる。
 こういうドラマを見て育っていたら、正しければ勝つ、なんて青臭いこと
を胸を張って言うだけの幼い精神からもっと早く卒業できていた気はする。
 ただ、どれも結構長編で、全五十話ともなれば、途中で過去の話の内容を
思い出せなくなるのが困りもの。
 けど、実生活でも、思い出せるのは大きな出来事だけ。
 大半は忘れてしまう。
 だからいいのか。
 ドラマは夢。
 私の人生も夢、みたいなもの。

習慣を疑う

 毎年、十二ヶ月分が一枚になった大判のカレンダーをもらう。
 一度も使ったことがない。
 だったら、もらわなくても、と思うが、急にやめたら縁起が悪そうで、や
められない。
 大学時代、鏡を落として割ってしまい、不吉なことが起きるのか、と憂鬱
になって、そう話したら、
「落としたら割れるのは当たり前」
 と同級生の男の子が言ってくれ、心が呪縛から解き放たれた。
 夜、爪を切ると親の死に目に会えない、という迷信が、昔は灯りが暗かっ
たので爪を切るのは危険な行為であり、それをこういう言い方で諫めたのだ
としたら、鏡のことは、以後はより注意して扱うように、とか、割れた鏡は
さっさと捨てよ、というアドバイスだったのかもしれない。
 だが、大判カレンダーの件はすこぶる個人的。
 ところが、そういうことですら、縁起が悪い、と思って、習慣をやめる勇
気を持ちづらくする方向に私の心は動いた。
 人ってこんな風に自分自身を怯えさせて自己規制するよう心が動きやすい
のかも。そして、きっとそうだと信じたら、それが真実であるかのように人
に言いふらし、三年続けたら理由もなく止めると罰が当たる、なんて格言め
いた言葉にまで昇華して、広く知られるようにしたがるかもしれない。
 ただ、私は、使わないのにカレンダーを置いておく愚も気になっていたの
で、壁に貼ってみた。今頃になって、なのだが。
 すると、いいのだ。
 十二ヶ月分が一度に見られると、翌月の同じ曜日を知りたい時にすっとわ
かる。手帳のは字が細かくて見る気になれないが、これだとストレスがない。
 ああ、もっと前から使っていれば。
 悔やむより、来年のをもらうことだ。
 もらった。
 さて、この一件は私に気づかせてくれた、私の頭の硬さだ。
 だって、もらうけれど使わない、という以外の発想を持てなかったのだか
ら。
 理由はわかる。
 人は楽をしたい。
 脳は省エネが好き。
 これはこうする、と決めてしまえば、脳は楽できる。
 もう考えなくて済むから。
 でも、それが進歩や変化を阻む罠になる可能性はあると心得ておくことは
必要だろう。
 パソコンの中を整理することにし、まずはYoutuberの過去の動画のブッ
クマークを消したら、その表紙のページのURLも消してしまった。
 検索すればすぐに見つかるから、問題ない。
 のはずが、検索が面倒で見なくなった。
 困らない。
 そこにびっくり。
 私は不要なことに時間を奪われていたのか。
 また一つ、凝り固まった習慣から解放された。