ソニア

 そうか。去年の九月一日に私は彼女のことを書いたのか。
 書いたことは覚えているが、いつだったかわからなくて見直したら、
彼女から一年以上音信不通の末にメールが来たのはその六月で、それか
ら六回目のメールが来たのが九月一日だった。
 ソニア。
 本名ではない。
 両親にも、今後は自分が好きなその名で呼んでほしいと言い、若い頃
からその名を使っているそうだが、私は本名も知っている。本名を知っ
ていてよかったと、やがて安堵することになる。
 彼女の音信不通を、私はスペイン、アンダルシア地方での生活が、楽
しいけれど取り立てて私に報告するようなことはない日々になっている
からだろうと想像していた。
 パリで銀行の管理職だった彼女は、五十歳前に同僚の男性から濡れ衣
をかけて足を引っ張られようとしていることを秘書を通じて察知すると、
身の潔白を証明したのち退職。もう仕事には就かず、長年の夢だった芸
術家へと舵を切った。
 個展を開いても売れない素人芸術家。けど、大満足。
 ただ、パリから移り住んだブルゴーニュ地方は、広い田舎家は理想的
だが、寒さが嫌。
 物価も安い南国スペインに家を借りると、死ぬまでそこに住みたいと
考えるようになっていた。音信不通になった頃、その地で彼女は咳に悩
まされ始めていたのである。
 幾つもの検査の結果、肺癌のステージ四だと判明。副腎、食道にも転
移して、手術は不可能。抗癌剤放射線の治療になる。
 フランス、リヨンの、自分の過去のカルテがある病院で治療してほし
いと望んだら、友がフランスから迎えに来て、荷造りをし、車で送って
くれ、リヨンの友達は診察の予約を取ってくれて、家具付きのアパルト
マンも見つけてくれたとか。
 でも、車での移動は死にそうにきつかった。
 闘っている。
 彼女は書いてきたが、まさしくそれは彼女のイメージである。
 肺癌と診断される三ヶ月前に現地で新築の家を買う契約をしたばかり
だったが、やっぱりそこに住むのだ、と決意は固まったと言うし。
 主治医は、現地でも同じ治療を受けられると彼女に同意。ただしCT
検査と診察に二ヶ月ごとに戻ってくること。
 治療が一旦中断するあいだの九月二日から十六日までスペインに戻る
わ。契約を完了させるつもりよ。
 ちょっと風邪を引いただけ、みたいな彼女のスケジュールには驚かさ
れるが、治療がうまくいっているのだろう。
 もう帰国したはずの九月二十日にメールを書いた。十月五日にも。
 だが、返事がない。