友の死を知る

 去年の六月、フランス人のソニアからメールが来るまで一年以上音沙汰
がなくても気にならなかったのは、便りのないのはよい便り、と信じられ
たからだ。
 しかし、その六月のメールで、転移もある肺癌のステージ四だとわかっ
て移住先のスペイン、アンダルシア地方からフランスに戻り、抗癌剤と放
射線治療が始まったのだが、その一連のことを書く気になれなかったと告
白され、けれども、九月一日のメールで、治療が今日で一段落するので、
あしたから十六日までアンダルシアに戻る、十月十五日前後にももう一度
戻るつもり、という予定を知ると、病気とうまく付き合えているのだと想
像するも、一抹の不安は手放せない。
 九月十六日に帰国し、九月十八日は血液検査とCT検査、ということな
ので、その少しあとにメールを送り、十月にも送り、スカイプからもメッ
セージを送るが、返事がない。
 今どこにいるの、どうなっている。
 彼女の妹や姪、親友カップルの話は彼女のメールに何度か出てきたが、
名字や住所、電話番号はわからないから、問い合わせる手立てがない。
 別のフランス人の友に、フランスで、どうすれば個人の死亡を確認でき
るか、聞いてみた。
 死亡が確認できなければ生きていることになる、という立証の仕方で、
ソニアは私にメールを書けないだけなんだと納得したい。
 相談した友にはソニアを紹介したことがあるので、私は実はソニアのこ
となのだと詳細を伝えた。
 友が調べてくれて、名前、生年月日、生まれた市町村がわかり、死亡届
が出されていれば、その役所が教えてくれるそうな。
 私はソニアの本名を知っているが、彼女の生まれた場所も知っている。
 星占いに必要で、聞いたことがあるのだ。
 個人的な趣味のおかげで、私はソニアのそういうことまで知っている近
しい友だと証明することができたのである。
 おかげで、友はすんなり情報を入手してくれた。
 ソニアは去年の十月二十六日に死亡。
 亡くなった地名も知らされた。
 ソニアが治療を受けていたリヨンでも、彼女の妹が住んでいるトゥール
ーズでもない、その中間地点の小さな町だ。
「そこに緩和ホスピスがあるのかも」
 友は言う。
 生死がわからぬままならば、なぜメールが来ないのかと気を揉む日々が
一生続いたと思うと、事実がわかって、悲しいけれど、嬉しい。
 ところが、欲深な思いがこそっと芽生えた。
 ああ、ソニアの身内がソニアのパソコンかスマホで私の存在を知り、連
絡してきてくれたらいいのになあ。