ラベンダー色のシャツ

 買ったばかりの薄紫色のシャツを着て行った。
 下は白のスキニーパンツ。これは夏の終わりのセールで買った。くるぶし
丈がほしいとなったら、スキニーしかなかったのだ。
 でも、足にぴったり沿って、履き心地が良い。それで、あろうことか色違
いで三着も買った。よそ行きでこういうことは始めて。
 だって、外出用なら、違うシルエットの方が着こなしの幅が広がる。
 しかし、そのスキニーは、そんな考えを抑え込むほど履き心地が良かった。
 問題は、脚の形が如実に出ること。
 ヒップから下に細くなっていくべきシルエットが、途中、太もものところ
で生地が膨らむ。私の太ももは、筋肉という点では褒められるしっかりした
存在感があり、ちょっと変、あるいはエロチックに見えないかなあ。
 お尻の形もくっきり出る。その方が問題かも。
 新型コロナウイルスの蔓延で自宅勤務の機会が増えたせいか、トップスは
だぼっとゆったりしたシルエットが定着したが、私の手持ちのシャツはみな、
身体のラインに沿う細身のシルエット。
 上も下も細身ではバランスが悪い。
 そこで、新たに買ったのが薄紫色のコットンシャツだった。
 四色ある中でその色が一番私に似合うと店員に言われた。
「ごめんなさいね」
 そんな前置き付きで何度も言われたのは、私がその色に気乗りしない理由
を述べていたからだ。
 私は、その色のブラウスとシャツを持っている。ほかの色もある中でどれ、
となったら、どのショップの店員も私にその色を勧めたのである。
 ただ、寸分違わず同じ色。
 せめて少し濃いとか薄いとか、色に微妙な差があれば、ああまた、という
気分ではなくなり、もう少し心が弾むだろうに、なんでまったく同じなんだ
ろう。
 だもんで、一番似合うのを選んだはずが、必需品を買うような冷めた気分
になる。
 しかし、私を見た同僚が、
「わー、爽やか」
 と声をあげてくれ、ようやく満足感が込み上げてきた。
 別の一人は、
「菊さんって、そういう色が似合うね」
「そうなのよ」
 と私。
 だって、そうだから。
 すると、
「否定しないんだ」
 と言われて、困惑。
 口先だけの謙遜は不要な関係だと思うから、そう言ったんだけどな。
 あ、でも。
 自分には似合わないけど、私には似合うということで、私のことを羨まし
い、と思う気持ちが同僚の心の中にチラッとでもあったのなら、私の答えは
ヌケヌケと厚かましかったことになる。
 それでも。
 白々しい謙遜は、言うのも聞くのも嫌なんだよなあ。
 次の時には、どうしよう。

英国エリザベス女王の国葬

 題名だけ知っている映画は多い。
 たとえば、フランスの『大人は判ってくれない』。
 積極的に観る機会を作ろうとは思わないが、テレビで放映されると、観る。
 監督のフランソワ・トリュフォーは、今月、ジャン=リュック・ゴダール
が死ぬと、対比で取り上げられた。表現手法は違えど映画に新風を巻き込ん
だ二人だったらしい。
 ゴダールの代表作は『勝手にしやがれ』。
 これもテレビで観た。
 どちらもモノクロ映画で、一九五九年の作品。
 私には、斬新かどうか、よくわからなかった。
 私は感性が鈍いのか。時代が進み、もう新鮮ではなくなったのか。
 ただ、『大人は判ってくれない』で、授業をサボる男の子に母が、
「フランス語だけは勉強しなさい」
 と言ったのには感動させられた。
「英語だけは勉強しなさい」
 ではないのだ。
 たぶん、現代でも。
 男の子は、作文の授業で、そらで覚えているバルザックの文章を書いた。
 十二歳の少年でその設定が成り立つのかと、これにも驚愕。
 そういう社会ということだから。
 言葉は文化。
 そこから伝統が生まれる。
 十九日に、エリザベス女王国葬を見た。
 英国最大級の伝統である。
 日本のテレビは、本国のアナウンサーの発言が途絶え、日本語の通訳も終
わると、無言が悪であるかのごとくコメンテーター達が説明を始めて、うる
さい。
 私は荘厳な儀式を目撃させてほしいだけ。
 どうしたものかとパソコンの前に戻ったら、ライブ中継を放映中というヤ
フー・ニュース。
 ならば、配信元のBBCのホームページでも見られるのではないか。
 見られた。
 その方が画面が大きいし、パソコンの全画面表示にしても画像がくっきり。
 私はスクリーンショットを取りまくり、本国の放映が終わるまでに三百枚
以上取った。
 画面上にBBCという文字すらないので、私がカメラで撮ったと言っても
通じそう。
 わざとそうしてくれたのかなあ。
 粋な計らい。
 今、BBCのホームページで十時間弱の動画が見られるが、あの日、眠気
を我慢して終了まで見てよかった。
 座って画面越しに見ているだけの私が時間が長い、長すぎると思う葬列を
歩く王族。
 どこで練習を重ねたのかと舌を巻く近衛兵や海兵隊の美的な行進。
 その数の多さに圧倒されると、どれだけの経費がかかっているのかと経済
に疎い私が気になってくる。
 一方、棺の前を歩く少し背中の曲がった人には、年齢的に大変ですよね、
とねぎらいの言葉をかけたくなる。
 同じ時に共存するからこその、心の浮遊。
 楽しかった。

言葉は歯痒い

 打ち合わせで、その人が、コレコレの場合は、
「もう一枚白紙を渡してあげてください」
 と言った。
「必要な箇所にマーカーを引て渡すのもいいですね」
 皆の頭の中が疑問符で埋まる。
 でも、話を聞いていれば、そのうち、その人が言わんとする「白紙」の正
体がわかるかも。
 果たして、その人は、最初に渡す紙には各自が書き込みをするだろうから、
それとは別にもう一枚コピーして渡すといい、と言いたいらしいことがわか
ってきた。
 新たにコピーする用紙には書き込みがないから、「白紙」。
 白紙をそう定義するとは、なんと大胆。
 でも、
「ああ、これが言葉なんだ」
 と私は再認識させられたのだった。
 私達は、自分の言うことを、過たず(あやまたず)相手に理解してほしい
と思って言葉を使う。
 ところが、この「白紙」もそうだが、
「うちのおとうさんが」
 と五十を過ぎた人が言うので、高齢の父親の話になるんだと思ったら、自
分の夫のことだったり。
 ならば、写真や動画の方が正確かと言うと、
「林檎」
 を概念として思い浮かべてもらいたい時に写真や動画だと、「表面にこう
いう傷がついている、この世に唯一無二の林檎」を伝えたいのだと思われか
ねず、よろしくない。
 言葉の問題は、自分が言葉に託す思いと、それを受け取る相手の受け止め
方が、ぴったり重なるとは限らないことだ。
 昔、アメリカの公衆トイレは防犯のために扉の下の方が十センチほど開い
ていると聞いたか読んだ時、私は、日本の公衆トイレを思い浮かべ、百パー
セント洋式にはなっていないので、和式トイレを思い浮かべて、
「いやん、困る」
 と思ったのだった。
 言葉は、寸分違わず同じ意味で伝達できると思わない方がいいのかもしれ
ない。
 それでも、自分の言葉が少しでも正確に相手に伝わってほしいと願うと、
どうなるか。
 私は、微に入り細に入り言葉を尽くして説明しようとしてしまった。
 久しぶりに会った友達とお喋りした時のことだ。
「ごめん、菊さん。余分なことはいいから、本当に言いたいことだけを話し
てくれない」
 と言われた。
 その前に、別の友達に、
「テレビを動かす」
 と私が言い、
「テレビは動かせない」
 と友が応じ、私が「小型」と付け加えなかったために、しばし話が噛み合
わなくなったことがあったものだから、余計に私は詳細な説明に心血を注い
でしまったのだった。
 言葉で思いを伝えたい。
 でも、言葉に疲れる。
 そういう時は、管弦楽や絵画鑑賞。
 いっとき言葉から離れ、そしてまた、言葉に戻ってくる。

二度目の栄養指導

 二度目の栄養指導を受けた。
 一度目は近くの開業医で、二年前の夏だった。
 内容は、しばらくは覚えていたが、すぐに忘れた気がする。
 だから、今回も、役に立つのかなあ、なんて思った。
 私次第なのに不遜である。
 今回は総合病院で、予約の枠はがら空き。選び放題。
 で、思い出した。
 一度目の時、そもそも普通の開業医が管理栄養士を抱えている事自体、院
長の見識の高さの表われであるが、栄養指導の仕事はそう頻繁にはなく、そ
の管理栄養士は受付の仕事も兼ねていて、看護師から下に見られると、こそ
っと愚痴を聞かせてくれたのだった。
 総合病院なら、立場はちゃんと守られているだろう。
 予約の日。
 少し早めに着いたら、前後に予約がないので、もう入室させてくれ、時間
をオーバーして相手してくれた。
 この七月以降、私は意識して塩分を摂っていた。熱中症対策には水分、そ
して汗を掻くから塩分補給、とテレビでしょっちゅう耳にしていたからだ。
 ところが、市販のキムチを大量に食べたりして、私は塩分摂取が過剰だと
か。
 ああ、それでやたらと水を飲んでいたのか。
 蛋白質の摂取も多い。
 小腹が空いた時、手軽に栄養補給できる病状やゼリー飲料を食するように
なっていたが、わざわざ「プロテイン」含有量の多いのを選んでいた。けど、
私はそれを必要とするほど激しい運動はしていない。
 お腹が空くなら、むしろ、もっと白米を食べるのがお勧め。
 いっぱい駄目出しされた。
 とは言え、その言い方は非常に気を配ったものだった。
 質問されて答えるという問答から私の食事傾向を分析されるが、私は答え
る時、なぜそれを食べるのか食べないか、と個人的なこだわりにも言及する。
 栄養士は、それは間違った思い込みだ、とか、いろいろ言いたいことはあ
るだろうに、直裁にそう告げたら私が聞く耳を持たなくなると思うからか、
すっと引く。
 そして、
「こういうのでもいいですよ」
 代替の食材を穏やかに口にする。
 モロヘイヤも、そんなふうに提案された。
 採用してもしなくてもあなた次第、と軽い口調。
 血圧が高くなったら有無を言わさず減塩食、という刑務所のような押しつ
けはできないのだ。
 この仕事って結構大変だな、と思わされた。
 今、私は食べたことがなかったモロヘイヤを毎日食べ、それでも足りない
緑黄色野菜は、下茹でしたほうれん草とかぼちゃの冷凍食品を利用し始めた。
 どちらも国内産野菜のが見つかったのだ。
 そして、なんと、二週間も経たないうちに一キロ痩せた。

握力は筋力

 医者に私の握力を聞かれ、春、測定した時の記憶を思い出し、
「割と良かったです」
 と答えたら、何歳代の数値だったかと重ねて問われ、
「三十代だったと思います」
 と答えたのは、三十代か四十代だったと思うが、若い方が腕力があるはず、
と若い方に賭けたのだ。
 すると、
「握力は、四十代に一番高くなるんやけどね」
 なんでも若けりゃ良いということではないようである。
 家で確認したら、左二十九.八kg 右三十二.一kg。
 左は三十代。右の数値はすべての年代の上限を超えていて、表にない。
 だからかも。私は、洗濯物を洗濯機から出すと、左腕を竿に見立て何枚も
重ねて掛け、今度はそれを一枚ずつハンガーに掛けてゆく。それがもっとも
時短になると思っているから。先日は、タオルの詰め放題で、たぶん最高枚
数を叩き出した。
 けど、医学的には握力で何がわかるの。
 医者は明確な説明をしてくれなかった。
 知りたきゃインターネットがあるだろう、ということか。
 たかが握力測定と思っていたけど、体幹や、立った時の足の強度など、全
身の筋力が物を握る力となって表われるという理屈を知ると、握力測定がも
のすごく賢いものに見えてきた。死亡リスクにも関係するというし。
 何がわかるのか、という私の問いに、
「いろいろなことがわかる」
 と医者が答えた内容は、こういうことだったのだろう。
 でも、握力で筋力がわかる、ぐらいは話してくれてもよかったのに。
 言葉を惜しまれたなあ、と思っていた。
 勘違いだった。
 その診察日に、医者は、人はどうせ死ぬけれど、それまでの体力曲線が直
近までなるべく高くあるのが理想だと図に描いて説明してくれて、その紙を
見直したら、
「筋力 握力」
 と書き、女性は三十代ならOK、二十代は△、十代は×。
 二十代、十代の場合は筋トレが必要、と書いてくれている。
 私は、聞いていたのに、聞き逃していた。
 なのに説明してくれなかったと思い込んでいたのだから、困ったモンだ。
 ごめんなさい、先生。
 人が喋りながら書いてくれるのを眺めるのでは記憶に残りにくいのかも。
 やはり、自分でメモする。
 あとで読み返して読めない雑な字になっても、その時の会話は蘇るから、
ゆっくり清書すればいい。
 そういう姿勢でいると、医者の説明が早くて付いていけず、
「えっ」
 と声をあげたら、もう一度、説明してくれる。
「栄養指導を受けますか」
 と言われたのは、こういう私の姿勢を熱心だと見てくれたからかもしれな
い。
 別の病院でのことだ。

詰め放題

 タオルの詰め放題をやっていた。
 一番数が多いのは、ぺらぺらのハンドタオル。
 明らかにセール品、と見えそうだが、確かにそうでも、ここまで薄いのは
見たことがない。いざ、ほしい、となったら、どこにも売っていないだろう。
 ビニール袋を手に取り、高齢女性の横に立つ。
 彼女は、これだけ詰められたら充分、と思ったのか、隣接のワゴンに移動
した。
 そのワゴンのひと所はタオルがなくなり、ワゴンの底が見えている。そこ
にビニール袋を置けば、上からタオルを押し込む力が分散しない。
 彼女はそうした。
 私は、そろりと彼女の横に移動し、タオルを物色しつつ、彼女の手元も視
野に入れ、上の口紐を結ぶのに手こずる様子が見えると、
「やってあげましょうか」
 と声をかけた。
 私も、まずはタオルを上から押し込む。
 上部に空間ができる。
「まだ入りますよ」
 彼女が目の前のぺらぺらのタオルを数枚取って私に渡す。
「そこら辺をちょっと拭くのに良さそうですしね」
 と彼女。
 考えることは同じである。
 私は、再び、全身の力で押し込む。
「まだいけますよ。ただ、持って帰るのに重くなりますけど」
「もうこのぐらいで」
 と言われてやめた時も、まだ入れられる余地はあった。
 こういう詰め放題では限界を極めたい。そこに詰め放題の醍醐味を見るか
らだが、その精神で人にもお節介したくなる私。
 お祭りだもの。
 お祭りだから、張り紙に「ビニール袋の口をきっちり閉めてください」と
あっても、若干口が開いた状態なら良しと見なす。
 実際、レジでも見逃してくれる。
 しかし、彼女が気にするので、
「大丈夫です」
 私は請け負った。
 そんな私の成果は、普通のタオルが四枚、ぺらぺらハンドタオルが四十六
枚。税抜き千円である。
 一位かな。
 だって、他の人達はみな、詰め方がお上品。
 どうして。
「あっ」
 握力の問題か。
 私は、アレルギーで定期的に通院しているが、毎回、まずは体組成計測定
で体重や筋肉量、水分量、体脂肪率などを暴かれる。
 握力測定はない。
 なのに先日、担当医から握力を問われ、なぜに私に答えられましょうや、
と言いたかったが、答えられた。
 半年ほど前に、市の保健所の出張イベントで血圧と握力を測ってもらい、
その数値を覚えていたのだ。
 握力で何がわかるのか。
 私の問いに、
「いろいろなことがわかる」
 とぼかした答えしか返してもらえなかったが、握力が高いといいことがあ
るのか、という疑問の答えは、自力で見つけた。
 こういう詰め放題の時に役に立つ。

舌は筋肉

 歯ぎしりと歯の食いしばり対策のマウスピース。
 そのすり減り方は一様ではないので、定期的に歯医者に表面をならしても
らう。
 歯垢を取るなどの歯のメンテナンスは、歯科衛生士がしてくれる。
 いつも同じ人。
 そのおかげ、ということはないだろう。私のカルテからわかることは、ど
の歯科衛生士が見ても同じはずだから。
 それでも、担当の歯科衛生士に、私が不調を訴えるのは左側だけだ、と指
摘された時、彼女がずっと私のことを見てくれているから気づいてもらえた
のだ、という気はした。
 まずは小さいエプロンの紐を私の首の後ろで結びつつ、
「前回から変わりはありませんか」
 と彼女に聞かれ、不調があれば伝えると、歯医者はそこを重点的に診てく
れるが、特に何も見つからず、
「様子を見ましょう」
 と言われ、実際、その不調は長続きしないので、私もすぐに忘れる。
 そういうことが積み重なったある日、私の不調は左側のみ、と彼女に言わ
れたのだ。
「右手で歯ブラシを持つので、左側を磨く時、力が入る過ぎるのかもしれま
せん」
 腑に落ちた。
 が、
「口の中で、舌はどうなっていますか」
 と聞かれた時は面喰らった。
 その意図は、何。
 答える前に、私は常識を思った。
 常識とは、地球には重力があり、すべての物はそれが落ち着けるもっとも
下の場所に安定するものでしょ、という認識である。
 けど、私の舌は、なんか違う。
 私の舌は不正解なのか。
 そうではなかった。が、正解でもない。
 私の舌は、彼女曰く、
「今までより、ちょっと横に広がってきたように見えるんです」
 口の中で上顎にぺたりと広く張り付いているのが舌の理想的な状態。重力
に抗うのが舌らしい。
「あっ」
 少し前から、私は、舌の端を歯で噛んでしまったり、口の中いっぱいに舌
がゾウリムシのように広がっている感じを持つことがあったが、それらが、
この話で一本の線に繋がったのだ。
 いつか役に立つかも、と切り抜いてあった記事を思い出し、
「ウ・ン・パ・ベーとか、パ・タ・カ・ラという舌の体操をするといいんで
すね」
 と言ったら、
「そうです、そうです。私も、どうしたらいいか調べておきます」
 舌が衰えると、下に落ち、顔のラインはたるむは、食べる、話す、鼻呼吸
にも悪影響が出るは、ということになる。
 その予兆が見て取れた早い段階で言ってもらえて、よかったあ。
 そうとわかれば、鍛えればいいのだから。
 とは言え、一日たった三分もかからなくても、もう、毎日はできなくなっ
ている私。

新聞紙で作る箱

 前回、「立秋」だが体感はまだ夏、というようなことを書いたつもりが、
体感のままに手が「立夏」と書いていたと気づいたのは、数時間後。
 すぐに訂正したけれど、実は、さらにもう一箇所、
「ちゃんと私の視界に入っている」
 と書くべきところ、「と」を抜かして「ちゃん私の視界に入っている」と
書いていたことには気づかなかった。
 そこまで読み返さなかったのだ。
 めげた。
 自分で気づくには、一度頭から消し去るぐらい時間をあけることが必要だ
と反省した。
 一方、人に言われて気づく時は、理解の地層が深まるとか、点と点の理解
が線になる、というような別の次元のことが起こる。
 歯ぎしり、歯の食いしばりが著しい私は、マウスピースをして寝ている。
 その調整に、定期的に歯医者に行く。
 定期通院の患者には歯科衛生士の担当を決める方針なのか、歯垢除去など
は、毎回、同じ人がしてくれる。
 椅子に座って、まず、この人にマウスピースを渡す。
 薄く水を張ったプラスチック容器ごと渡すのだが、容器は完全防水ではな
いので、万一、水漏れしてもいいように、底が正方形で蓋なしの箱をチラシ
の紙で作り、その中に入れている。
 それを見るたび、
「いいですねえ」
 と言われる。
 毎回なので、折り方を教えてあげたらいいかも、と思い、折り方を紙に書
き、かつ、途中まで折ったいくつかを小さいサイズで用意して、渡した。
 新聞紙で作るゴミ箱と言えば、私が知っているのは、叔母の家で、蜜柑と
一緒に出される折り方だけだった。底が長方形で、上部の右と左にぴらぴら
の部分があり、手で持ちやすいとも言えるが、それがない両側は強度がない
のが難点。
 ところが、この手の幾何学的三次元思考に長けた人はいるようで、底が正
方形で、上部の四辺がしっかり二重になる折り方が紹介されているのを見つ
け、以来、私はそれを採用している。
 もっとも、生ゴミ用には底に厚みのない別の折り方のを使うので、これは、
広告チラシで小さめに作り、その一つ一つにハンカチやソックスを入れて引
き出しに入れる、というような使い方をしている。
 引き出しを開ければ一目瞭然。整理整頓にも役立つ。
 マウスピースの容器入れも、そういう応用の一つだったのである。
 歯科衛生士には喜んでもらえたが、それを機に馴れ馴れしくなるようなこ
とはない。
 けど、気さくに話しても大丈夫な相手、と私のことを思ってもらえた可能
性はあるかも。
「あのお」
 先日、言われた。
「口の中で、舌はどうなっていますか」

気づけば、変わる

 明日は立秋
 暦の上では明日から秋。
 悪い冗談、と思いかけたが、あっ。
 少し前から空は高く、澄んだ青。
 雲は、刷毛雲。
 季節の足取りを、空はちゃんと反映している。
 地表に生きる我が身が体感できていないだけ。
 蝉も盛んに鳴いている。
 七月に一番蝉の鳴き声が静謐をつんざき、
「あ、鳴いた」
 と気づかされたら、その後、どんどん大合唱になっていっても、平気。
 が、八月に入ると、イラッ。
 暑さへの耐性が切れるせいだと思っていた。
 けど、YouTubeで蝉の名前と鳴き声を学んだら、蝉の種類が変わるせいだ
と気がついた。
 七月の蝉は一本調子の鳴き方ゆえ、うるさくても、そのうち意識から外れ
る。
 だが、次に覇権を握る蝉は数秒ごとに強弱のある鳴き方なので、聴覚が刺
激され続ける。
 その名はクマゼミ、たぶん。
 なぜ「たぶん」か。
 人は、林檎を一つ見せられて、「これが林檎」と教えられたら、形が多少
違っても、色が違っても、林檎と認識して、蜜柑だとは思わない。
 素晴らしき人の認知能力。
 ところが、蝉の鳴き声に関して、私は、動画で学んだ理解をもとに実際に
聞こえる鳴き声の主を特定しようとすると、不安になる。
 この分野の認知能力が劣っているのかも。
 あるいは、もっと数多く聞けばいいだけの話か。
 なんにせよ、八月に蝉の鳴き声にうんざりさせられる真の理由が突き止め
られて、すっきりした。
 もっと早く気づきたかったけど。
 近くのスーパーマーケットに行く時、私はいつもパンツ。スカートは穿か
ない。
 ただ、夏は、内股に布があると暑苦しい。
 スカートにすればいいじゃん。
 そう気づいて、スカートを買った。
 これも、ようやく今年のことである。
 私は、長年、わざとこんな簡単な解決法に気づかぬようにしてきたのだろ
うか。
 そんなわけはない。
 スカート姿の人々は、ちゃんと私の視界に入っている。
 でも、人は人、真似をしたいと思わなかった。
 私の中に、パンツ以外はない、というなんらかの思い込みがあったのか。
 それを手放せたのは、
「こんな暑さはもう嫌!」
 と心底思ったから。
 つまり、こういう方法もある、とわかっている程度の気づきでは変われな
いってこと。
 そして、変わったあとに、振り返って、もっと早く変われていたら、と悔
やみたくなっても、ならば、過去のどこかの時点で、本当は変われるのに変
わらない選択をしたのかと自問するならば、変われないから変わらなかった
と言うしかないことに気づくだろう。
 よって、それだけの時間は必然だったのだ。

アップデートが怖い

 職場で上の立場の女性から、
「もう少しお洒落をしたら」
 と言われた日は、汚れてもいい服で行く必要があった。
 ただ、ほかの人達と比べ、私は明らかに「いけていない」服だったのかも。
 そして、一度でもそういう服装をしたら、それがあなたのイメージだと他
人から受けとめられると前回書いたとおりを私は実証したのかも。
「一緒に、似合う色を見つけるパーソナルカラー診断に行きましょう。服も
選んでもらって」
 と言われたのは、翌日以降、私が黒、白、ベージュなどと一線を画す色ば
かり着て行ったので、反古になったと思う。
 だいたい、私は自分の色のタイプを知っている。
 いや、たとえそうでも、何か口実を見つけて職場の外で一緒に楽しみまし
ょうと誘われたら、乗った方がいいか。
 今日はフランスの友の誕生日。
 フランスへの小包は、今、船便のみで、何ヶ月かかるかわからないので、
誕生日プレゼントは航空便の再開を待って送ることにした。
 正解だった。
 二週間前に送った誕生日カードが着いたのは、昨日。
 通常の三倍、日数がかかった。
 もっとも、私の手を離れたら私には何もできないから、気になるが、気を
揉むほどではなかった。
 神経質になるのは、自分の管理下を離れる時まで。
 私のiMacは三世代前のOSである。
 たまにSafariに不具合が起こり、OSのアップデートで解消できると予見
されるも、しないのは、スキャナーがそのOSに非対応で、後継の、A4サ
イズを平置きできるスキャナーも販売されていないから。
 ところが、突然、あるサイトに入れなくなった。
 困る。
 サイトのメンテナンスをしたからだろう、でも、他からそういう声はない
ので、私のOSが推奨外なのが原因ではないか、と言われる。
 最新のiMacを買うしかないか。
 しかし、最新のOSにはまだ非対応だと言う。
 今は寝て待て、という天の声と見るべきか。
 いずれiMacを買う時が来たら。
 大きなiMac二台を横に並べて置けるスペースはないぞ、と机を見て思う。
 スキャナー次第ゆえ、現状を確認。
 すると、私のスキャナーは、アップデートしたいOSにも対応、とある。
 嘘っ。
 何年間も駄目だったじゃん・・・。
 でも、ならば、OSをアップデートすれば済む。
 さあ、ボタンを押そう。
 押せない。
 押したあと、画面がどうなれば正常にアップデートが進行していることに
なるかがわからず、不安が膨れ上がるのだ。
 そして、アップデートの必然に迫られている我が身を呪う。
 天は、出費ゼロで解決できる最良の方法を用意してくれたのに。

時が止まったクローゼット

 着る服は、その人のイメージを表わす。
 でも、多彩なコーディネートを心がけすぎ、たった一度でも「いけていな
い」服装をしたら、それがあなただと他人に記憶される。
 だから、本当に似合う服を数少なく着回しして、小物で変化を付ける。
 そんな記事に頷いた私は、パッと見て把握できる以上の数を持つと管理し
きれない自分自身をわかっているからだろう。
 それに、気に入った物を見つけるまでの労力を考えたら、少しでも長く着
たい。
 いきおい、流行は追わないことになる。
 しかし、時の経つのは早い。
 結構着ているなあと思ったら、買ってもう五年、なんて、ざら。
 先月、長野に行く時、戸隠神社の奥社まで歩く日用にはカジュアルなパン
ツ、となったらコットンパンツしかなく、選択肢は白かカーキの色選択のみ。
 同じのを色違いで持っているのだ。
 ちょっとくたびれてきているなあ、と感じてはいたんだけど。
 買って十一年目なら、当然か。
 さすがに真剣に後継のパンツを探すことにした。
 希望は、くるぶし丈。
 ストレートか裾に向かって細くなるシルエット。
 大それた望みではなかろう。
 ところが、ない。
 くるぶし丈にこだわるなら、トイレに行った時、裾の扱いに困るワイドパ
ンツか、裾がゴムやリブ編みで絞られたジョガーパンツ。
 ストレートは、
「今年は、すっきりした丈のが多いです」
 と言われて困惑。
「すっきり」を「丈が短い」と同義語で使うとは、なんと大胆な。
 今年は見つからないと諦めつつ、別の店で聞いたら、店員は吊してあるパ
ンツを見まわし、
「うちにはないですね」
 と、あっさり白旗。
 私の希望を変質させてこようとしてこないところが好感が持てた。
 そして、
「お客様は、足は長いですし」
 と笑顔を向けられる。
 結局、別の店で、肌にぴったり吸い付く細身のスキニーパンツを買うこと
にしたが、そこでも言われた。
「足が長い」
 腰の位置が高い。
 だから何。
 つまり、足の長さが幸せに直結するということでもないのなら、
「これまで裾上げしたことがないんじゃないですか」
「はい」
 という会話が成立する程度以上のどんな恩恵があるのか、という疑問であ
る。
 が、珍しく、売るのが商売の店員ではない職場の女性にも言われた。
 もっとも、
「なのに」
 と言葉が続き、かつ、
「顔も小さいし、化粧をちゃんとしたら、もっと綺麗になるのに」
 常時マスクで、化粧に駄目出しされたんですぜ。
 聞き流す強さがあって、よかった。
 ちなみに、スキニーパンツは、色違いで二枚買った。

フランスへは船便?!

 フランスの友達何人かと、誕生日にプレゼントを送り合っていた。
 それを合意でやめたのは、プレゼント探しに頭を悩ますようになったから
だ。少なくとも私はそうだった。
 だが、その後も、一人の友には、彼女が喜んでくれそうな物が見つかった
ら、送っている。
 彼女への恩。
 もちろん、恩を受けた時に彼女に感謝を伝えたし、彼女は、
「そんなの、友達なら当たり前」
 と言ってくれたから、私が勝手に送る誕生日プレゼントにそんな思いが乗
っていると知ったら、困惑されるだろう。
 でも、
「あ、これは彼女に贈りたい」
 と思う物に出合ったのに、その思いを握り潰したくない。
 送付の準備を始めた。
 荷造りの前に、郵便局のホームページで送り状を作成する。
 前回このページに入ったのは去年の十一月末だった。別の知人とはクリス
マスプレゼントを送り合っていて、それはまだ続いているのだ。
 その時より、見やすくわかりやすくなっている。
 いいねえ。
 と思ったのも束の間、国際小包も小型包装物も、船便しか選択できない。
「料金・日数を調べる」のページで調べたら、航空便も出てくるのに。
 電話で問い合わせた。
 すると、「料金・日数を調べる」のページは一般的な内容であり、実際に
は、飛行機の減便やら何やらで、航空便受け付けが可能なのは、三日ほどで
先方に着くEMSのみ、との返答。
 仕事の書類でもあるまいし、そんな馬鹿高い送料を払うほどの熱意はない。
 船便ねえ・・・。
 海上のどこかで紛失されそうなイメージを持つ。
 それでも、もし、それほど日数がかからないなら、船便もありかも。
 電話で話しながら「料金・日数を調べる」に目を走らせると、日数が書か
れていない。
「フランスは公表していないんです」
 はあっ。
「ほかのヨーロッパの国へは二~三ヶ月とあるので、そのぐらいだと思いま
す」
 安易に言って、大丈夫ですか。
 私は、こと、対フランスとなると、お人好しではいられなくなるのだ。国
として公表しないのなら、公表しない理由があるはず、と読むのである。
 なんにせよ、今回は誕生日カードだけ送ろう。
 これは普通に航空便で送れるよね。
 それも一瞬疑いそうになったけれど、無事、送れると、手紙やカードはま
だ大丈夫なんだと、「まだ」という言葉を挟んで安堵することになった。
 昨日までの当然は、今日の当然を保証しない。
 身をもって学ばされるのは辛いなあ。
 でも、また、その当然は復活するよね。
 願わくばクリスマスシーズンまでに。
 無理だろうな。

一寸先は闇

 きのう、テレビをつけたら、どの局も番組を変更して、安倍元首相が奈良
近鉄大和西大寺駅前で街頭演説中に銃撃された、と報道している。
 もっと詳しく、と思う心理に応えるように、ほどなく、誰かがスマホで撮
っていた動画が流されて、現代である。
 ほかの局では、別の角度からの別の動画。
 犯人が捕まった場面は、解像度の高いカメラで撮ったプロの連続写真。
 が、その後は、本当に知りたい最新情報は出ない。でも、喋り続けるアナ
ウンサー。
 情報が、質から量に切り替わった。
 目新しさのない放送に意味はあるのか、と思いそうになったが、初めてテ
レビをつけた人には、初めて見る映像、聞く情報。
 私が、もはや繰り返しにすぎない、と思ったのなら、その時点で、そっと
テレビを消せばいいのだった。
 会見に繰り返しはない。
 ところが、ドクターヘリで担ぎ込まれた奈良県立医科大学附属病院の会見
で、取材陣の口から出るのは、同じところを行ったり来たりする質問。
 先にされた質問を再確認あるいはそれに補足できる情報を求めようとした
ら、そうなるのかもしれないし、回答された内容よりさらに一歩踏み込んだ
答えがほしいと思ったら、そうなるのかもしれない。
 でも、まどろっこしい。
 いっそ、会見の冒頭に、あとから質問されないぐらい詳細な説明をしてし
まえばいいのに、と思うが、聞かれなければ答えたくないことがあり、聞か
れたらぼかすつもりのことがあるとしたら、そうはいかないか。
 夜の奈良県警察本部の会見は、もう、餅は餅屋で、誰かが要領良くまとめ
てくれるのを読むのでいい、と見なかった。
 果たして、一夜明けた今日の報道は、テレビも新聞もすっきり明快。
 こんなふうにまとめられたのでは抜けが出る、と私が考えるようになった
のは四年前、日大のアメフト反則タックル事件で、大学の監督とコーチの会
見を見た時だった。
 我が目で全部見たら、印象が変わる。
 だが、全部見ても、落ちこぼれるものはある。
 それは当事者でないとわからない。
 それでも、事実に迫った情報がほしいなら、複数の新聞を読むとかすれば
いい。今は会見を全部動画が見られることも多い。
 人のことより、自分の人生。
 全編通しで理解すべきは、それだけなのだ。
 少し前、私は、
「一寸先は闇」
 が座右の銘だと述べて、離婚した同僚を笑わせたが、悲観ではない。
 一寸先すらわからない。でも、少なくとも「今」は私の支配下にある。
 だから、今、輝く。
 そんな、自分自身への決意と声かけなのだ。

ガラケー派の旅行

 私はガラケー。インターネット接続のオプションなし。
 そんな私は、事前に列車の候補や乗り換えパターンを下調べしておく。
 先日、長野に旅行に行った時もそう。
 だが、出発の日。
 朝早く目が覚め、持ち物の最終確認が終わっても、まだ時間が余るので、
昼用にささっと弁当を作った。新幹線の駅構内で買うつもりだったが、選ん
でいれば、あっという間に五分や十分は過ぎる。そういう不確実な時間はな
い方が、心配性の私には嬉しい。
 ところが、それでも時間が余ったので、出発することにした。つまり、こ
の時点で、下調べしていたバス、列車より早いのに乗ることになり、五里霧
中、とにかく前へ、という状態になったのだ。
 新幹線の改札口で掲示板を見上げると、二分後東京行きが出発する。
 駅員に聞いたら、すぐ横のエスカレーターを教えられたので、乗れるかも、
と駆け上がり、乗れるじゃないの。
 すると欲が出て、揺れる車内を歩くよりはと、自由席車両までさらに走っ
た。
 名古屋駅では三分遅くて、予定の一つ前の「しなの」に乗れないことにな
ったが、駅のベンチで優雅に弁当を食べ、向かいのホームの人達などを旅人
目線で観察していれば、四十分など、あっという間。
 余裕があるのはいいものである。
 つくづく、そう思った。
 と言うのは、帰りの日、「しなの」が途中で数分停止したのだ。在来線の
トラブルの影響らしいが、名古屋駅に定刻に着いてくれるのか。
 車内を回ってきた車掌に聞くと、わからない、という返答。
 名古屋駅が近づき、私はまた車掌に聞いた。今度は、到着ホームで、この
列車の左右のどちらの扉が開くのか、ということである。
 左と言われたので、その扉の前に立つ。
「しなの」は七分遅れで到着。乗り換えの猶予は三分間。
 扉が開くと同時にホームに降り、階段を駆け下り、新幹線のホームへ。
 間に合った。
 それにしても、「しなの」が止まっても、私のように車掌にあれこれ問う
乗客がいなかったのはなぜだろう。
 あっ。
 みんな、スマホで最新の遅延情報を入手し、次善の乗り換え列車を確認し
たりできるからなんだな。
 自己完結。
 けど、それに慣れて、人に直接尋ねる必要ができた時、どう会話していい
かわからなくなったりしないのかなあ、なんて言ったら、余計なお世話って
言われそうかな。
 それに、通信自体ができなくなったら、誰に聞いても解決しないし。
 違った。
 今日、auショップには苦情の客が詰めかけたとか。
 私のガラケーも、アンテナはずーっとバツ印。

旅先の写真

 三泊四日の長野旅行中、私は写真を二百九十九枚撮った。
 主に風景。
 あとは友達と私、友達とダンナさん。それか私一人。
 私が撮る時は必ず同じ構図で二、三枚撮る。
 撮ってもらう時も同様に頼む。
 目をつむったりして残念な写真しか撮れなかった、ということがないよう
にするためだ。
 戸隠神社では、友は駐車場で待ち、彼女のダンナさんと私だけで奥社まで
登った。
 奥社の前に立つ私を、ダンナさんに撮ってもらう。
 視界の隅に、若い男女が代わりばんこにスマホで写真を取り合っている姿
が見える。みんなそうするものだが、この二人の撮影時間は普通より長い。
 私は、女性に声をかけた。
「撮ってあげましょうか」
 まあ、嬉しい、と口に出しては言わないが、そうだとわかる表情。
 そりゃそうよね。旅先で本当に撮りたいのは、二人で写った写真。
 私はスマホを受け取り、数枚撮った。慣れぬスマホゆえ連写になったのか、
私の意図を指が正確に反映してそうなったのか。なんにせよ、ちゃんと数枚
撮れた。
 その私の秘めたる真意は明かさず、ただ、
「何枚か撮りました」
 とだけ伝えた。
 写真を確認して喜ぶ二人。
 それから、女性が、
「撮りましょうか」
 まあ、普通はそう言うだろう。
 でも、私が一緒にいるのは他人の夫。
 そう説明して、だから、いいです、と辞退。
 その後、友の夫から奥社の後ろの山の説明などを聞き、狭い境内にしばし
滞在。
 若い二人もまだいる。
 女性の方が再び、
「撮りますけど」
 彼女は律儀な人なのかもしれない。
 私は、是が非でも人のダンナと二人で写りたくないわけではないし。
「じゃあ、お願いします」
 帰宅後、パソコンで写真を確認して、後悔した。
 私達は奥社の前に立ち、上半身が写る大きさで撮ってもらった。
 一方、私は、彼女達が奥社の横に立ったからだが、奥社全体が写る構図に
したので、二人の足もとまで写っている。その分、人物が小さい。
 スマホ上で拡大すればよい、ということではなく、もともと人物像が大き
い構図のも撮ってあげたらよかった。
 今度からそうしよう。
 さて、二百九十九枚の中から数十枚、友のスマホに送った。
 それから、インターネットで注文して、葉書サイズにプリントしたのを郵
送することに。手にして見られる写真も悪くないはずだから。
 カメラ屋に行き、会員カードを出す。
 申し訳程度のポイントしかつかないだろうけど。
 が、
「これは今年の二月で終了になったんです。今はLINEのお友達登録で」
 また、私の生息領域が狭まった。