facebook

 個人的に英語レッスンを引き受けている学生の中でその女の子が最年
長だったので、彼女の高校入試と大学入試は私にとって初体験となった。
 彼女は、高校は志望校に入ったが、大学は落ちて、今、浪人中。
 春からは私の英語レッスンをやめ、かといって予備校に行くこともな
く、居酒屋のアルバイトで稼いだお金で、お洒落して楽しく友達と遊ん
でいた模様。彼女は高校時代は部活が忙しくて、バイトとお洒落には無
縁だったのだ。
 さすがに夏前後には受験勉強に打ち込むべくバイトを終了したようで、
彼女の妹達に英語を教えに行くと、彼女の気配がする。
 そう、気配。
 母子家庭で、私がいるあいだには帰宅しない母親から、私にお菓子を
出すよう言いつかっているのを妹達が忘れているようだと、彼女が指令
を出すだろう、唐突にお菓子が出てくる。
 でも、彼女は顔を見せない。
 私は、アパートに着いたら、奥までずんずん進んで、
「こんばんは。元気ィ〜」
 と彼女に声をかければいいようなものだが、そうできない。
 姿なき彼女からの拒絶の光線に屈するっていうのかなあ。
 そうなのか。
 私が勝手にそんな風に感じてしまうことを真実と見なして、十代はむ
ずかしい季節だし、じゃあ、「触らぬ神に祟りなし」で行くとしよう、
と逃げているだけということはないか。
 何であれ、言葉を交わそうと思えばできるけど、そうしないのが、彼
女と私の現実。
 ところが、彼女からfacebookの招待メールが来た。
 facebookって "友達の友達はみな友達" 路線を行くツールよね。
 苦手なんだなあ、私。
 この友もあの友も私から等間隔、という感覚を、私は持てない。
 私は、同じ内容のメールを送る場合も、相手によって微妙に文章を変
えたくなるから、私的メールでcc送信を使ったことがない。
 facebookは短い言葉で人と繋がるためのもの。
 なるほどね。
 でも、私はそれでは繋がった気分になれそうにないから、きっと書き
込みをしないだろう。なのに誰かと誰かのやりとりは読むとなったら、
盗み見しているような後ろめたさに襲われて、居心地悪くなるだろう。
 しかし、招待してくれたのは十九歳の彼女なのだった。
 私と直接話をしたくはないが、facebookで近況を伝え合う仲間には
迎え入れたいってこと?
 一人孤独に浪人中の彼女の精神状態も考えると、つれなく無視するこ
とができない。
 その日は彼女の妹達の英語の日だったので、夜行った時に私は言った。
「見てくれた。招待してくれたらアカウント登録したよ」
「私、別に招待してへんよ」
 へっ・・・。