待たない

 大阪の北の中心、梅田で友と待ち合わせをした。
 二時間半ほど時間を潰す必要ができたので、ランチに付き合ってもらう
のだ。
 私は、私の暇潰しに、誰かを呼び出し、付き合ってもらうなんて、申し
訳なくて、考えたこともない。
 でも、堅苦しさが緩んで、一応聞いてみてもいいのではないか、と思え
るようになった。
 無理、と言われて、ああ、そう、と思えるのなら、いいと言ってくれた
時は、嫌々付き合わせるのだ、などと恐縮せず、進んで会いたがってくれ
ようとしていると理解していいのではないか。
 進歩である。
 友が快諾してくれたので、私は額面どおりに受け取り、感謝した。
 が、友が来ない。
 だいたい待ち合わせに紀伊國屋の大きなビデオスクリーンの前なんて場
所を選ぶかね、と私は思っていた。
 でも、彼女がそこを指定したので、私が違う所を提案して会えないより
はいいかと思ったが、案の定、待ち合わせの人達ですごい人口密度だし、
何かイベントをやっていて、甲高い女性の声が途切れなくマイクから響き
渡るも、何を言っているのか意味不明。ただただうるさい。
 友にメールを送ったら、電話がかかってきたようだが、気づけなかった。
 再度かかってきた時も、そう。
 遅ればせに携帯電話の画面を見ると、通信者は非通知設定で、電話に出
られなかったことを棚に上げて、なんで非通知設定なのさ、と私は神経が
苛立つ。
 私からの電話に、友は無反応。
 そして、三十分。
 もういいだろう。
 私は決然とその場を離れた。
 これも進歩だ。
 不当に待たされている、と不満が沸点に到達しそうになったなら、待つ
のをやめる。そうすることで私を守り、相手も責めないで済むようにする。
 もちろん、友に、まだ家なの、だったら今日はいいよ、というようなメ
ールは送った。
 デパートに入り、さあ、しばし優雅に目の保養、と心を切り替えた途端、
電話が鳴った。
 紀伊國屋前に舞い戻り、友と合流。
 のはずが、会えない。
 何年も会っていないので、すぐに相手がわかるかなあ、と不安はあった。
 彼女は大きなマスク姿で、かつ、よく韓国に行っていると言っていたが、
いつかの時点で目をいじってきたらしい。
 目元で人相は変わる。
 彼女は、買い物をしていて遅れたらしい。
 二時間を切るランチの時間となったけど、友がいいなら、私はかまわな
い。
 でも、向かい合った彼女は最後まで見知らぬ人のようで、腰が落ち着か
なかった。