友達ではない

 永遠に続くかのごとき蜜月関係に見えていたのが、内部から亀裂が入り、
呆気なく道を分かつことは、よくある。
 きっかけを作ったのではない側は、事の始まりはもちろん、事が収束し
たのちも何も語らない。少なくとも公的には。
「言いたいことはいろいろあるけど、言ったら、また話がややこしくなる
から」
 と仄めかすのが関の山。
 ところが、無関係の第三者が、
「君がもっと大人の対応をしたらこうならなかったのに」
 などと口を挟んで来て、収束させる代わりに長引かせたりする。
 これも、よくある。
 過去は学びの宝庫だ。
 それでも、実際に我が身に降りかかって来たら、理屈での理解など吹っ
飛ぶかもしれない。
 その点、部外者は、素直に学びを活かせる。
 一番は、親切心からであっても、頭を突っ込まないこと。
 わかっていて、関西テレビの『怪傑えみちゃんねる』が終了した件につ
いて振り返ってみる。第三者以上に遠い存在の私だから、というのを言い
訳にして。
 番組内で上沼恵美子に辛辣に批難されたキングコング梶原雄太は、レ
ギュラーだったが、自ら申し出て降板。ところが、それでは事は収束せず、
上沼が番組を終了すると決断するに至ったらしい。
 らしい、というのは、情報源がインターネットの記事のみだから。
 すべて鵜呑みにできるのか。
 できないとしても、教訓は見つかる。
 上に立つ者の在り方だ。
 下にちやほやされて良い気分でふんぞり返るようなら、人間的に残念だ
が、気紛れに、友達のような親密さを下に強要することがあるなら、かな
り厄介。
 権力のある者となき者は、友達になれない。
 一人で寂しい時、優しさがほしい時、まず頼るべきは配偶者のはず。
 その次は、自分と同じような立場にある別の世界の人。
 上の人間の孤高や苦しみは、同じ立場の者同士でないとわかり合えない。
 もし、そういう友達はいないと言うなら、わざと作るのを回避してきた
のだ。
 自分の弱みも見せてこそ、友。
 それをプライドが許さなかったのであれば、それはいいが、友の代わり
を下に求めるのは無理というもの。
 だいたい、もっと成長したい、精神的にも、と思っている人は、いくつ
になっても自分の前を行く人を追いかけ続ける。そういう相手との交流で
心が満ちていれば、下に対しては優しい眼差しを向けるに留まり、日頃か
ら目をかけてやっているのに、と気遣いを強要することは起こらないだろ
う。
 親と子も、もちろん、友達ではない。