ロザンの二人

 ロザンの管と宇治原のYouTube番組『ロザンの楽屋』は、登録者数
も、毎回の再生回数も、堅実な数字に留まっている。
 面白くないからではなく、面白さを追求している方向が違うからだ。
 対象者が限られる。
 二人が画面の左右に目一杯離れているのは、新型コロナ対策のため。
 その状況で、一つのテーマについて語り合う。
 面白いのは、どちらが口火を切っても、すぐに、
「うん」
 相手が応じること。
 管は、特にこの相槌が早い。
 宇治原が、
「あのね」
 と言っただけで、
「うん」
 と言ったりする。
 ここに、二人の厚い信頼関係が透けて見えるのだった。
 今から相手が語ることは、聞く前から聞くに値すると思っているからこ
そ、だから。
 知的に同じ土俵にある者同士という安心感。
 実際、まさしく、この二人だからこその話の展開になる。
 可愛い男の子っぽい外見の管は、実は批判精神旺盛で皮肉も手加減なし。
気安く近づいたら手をかまれそうで、イメージとは大きく違う。大人だ。
 一方、管の言葉を丁寧に拾い上げるのが宇治原。彼は知能をひけらかし
て闘うタイプではない。これも意外。
 二人の話題は、面白い、と思う人と、また面倒く臭いことを言い出して、
という人の二つに分かれるだろう。
 なんにせよ、宇治原は受ける。
 受けたとて、そこからどう発展できるのか、宇治原自身わかっていない
かもしれない。
 でも、ちゃんと受ける、という姿勢でいると、自身の知力と情報量がそ
れに派生することを思い付かせてくれるのだろう、それを語ると、思わぬ
視点が立ち現われる。
 議論する醍醐味だ。
「あ、そうか」
 管は、納得させられたら、あっさり意見を取り下げる。その柔軟性もま
た、頭の良い人である。
 彼らの会話は、謂わば粘着質。
 わずか十分ぐらいでも中身が濃い。
 直感や好き嫌いで相手の意見を切り捨てない。
 良き議論の在り方を見せてくれる。
 そんな番組はテレビでもないので奇特だと思うが、二人が、学生時代に
出会うまでは言葉が通じる相手がいなかった、と語っていたのは、そうな
んだろうな、と思わされる。
 こういう関係の恋人や夫婦は、精神的に豊かだろう。
 実際どうかは、彼ら自身の結婚生活について聞いてみたいけど。
 今日は、コロナ渦のメディアへの批判として、店で一人で食べている人
にわざわざ近寄って取材するのはいいのか、と管が話題にしたことに軽く
触れるだけのつもりが、文字数を使い果たした。