藤の盆栽

 今、藤の季節。
 フランスでも藤は咲く。
 が、初めて見た時、これは正しい藤ではない、と思った。
 ところが、藤の季節に奈良に行ったら、春日大社の境内に迫る裏山のあち
こちでも藤が咲いていて、フランスと同じく、木から藤の花が垂れ下がって
咲いているだけ。
 それが本来の形だったのか。
 でも、私は藤棚の藤しか知らなくて、それ以外の在り方に強い違和感を持
つようになっていたみたい。
 そんな私だが、ホテルのフロントに置かれた藤の盆栽には感動させられた
のだから、いい加減なものだ。
『萬葉植物園』は春日大社神苑である。
 幾種類もの藤棚の藤に心が躍り、写真を何枚も撮ったが、まだ足りない、
という思いで園を出た。
 その理由がわかった。
 盆栽なら、間近でとくと眺められる。
 日々、変化を観察できる。
 死ぬまでに藤の盆栽がほしい。
 その日から、それが私の願いになった。
 インターネットで買うのは簡単だが、やっぱり実物を見たい。
 だが、そういう場所は近くになく、ゆえに、死ぬまで、などという言葉が
出てくることになったのだった。
 先日、苔玉の植物の販売イベントがあった。
 藤を扱っていなくても、同じ業界だから、良い業者を紹介してくれるかも、
と行ったら、ある。
 一つ。
 一つ持ってきたのが売れて、新たに持ってきたのがそれだと言う。
 いつもは迷いに迷う私が、即、購入を決意。
 なんせ、「死ぬまでには」と思っていたのだ。
 この機会を逃したら、次は一年後だし、その時、こういう巡り会いが私の
運命に用意されているかはわからない。
 だから、買う。
 ただ、大きいので、翌日取りに来ることにして、掌に載るぐらいの五葉松
の盆栽を買い、その日は松だけ持って帰った。
 そして、翌日。
 外出や旅行の時の管理方法、肥料のやり方、植え替える時、など聞いてお
きたいことを書き出して行ったら、全部に答えてもらった時には一時間半ぐ
らい時間が経っていた。
 ほかの人達は、気軽に、ほいっ、と買っていくのに。
 みんな、苔玉の天才なのか。
 切り花より長持ちしてくれたら儲けもの、ぐらいの感覚なのか。
 私は、私の藤をカメラで接写したりする一方、インターネットで生育法を
調べる。
 真夏の蒸し暑さを思うと、鉢に植え替えた方がいいかも。
 じゃあ、土は。
 私の「死ぬまでには」は、満開の藤の盆栽を買えたらもう思い残すことは
ない、ということではない。
 翌年も、その翌年も花を咲かせられてこそ。
 そのためにはいろいろ勉強せねばならず、死んでいる暇はない。