大難を小難に

 自分の口座に誤って振り込まれた金を別の口座に移しただけで「電子計算
機使用詐欺罪」が適用されると初めて知った。
 山口県阿武町の四千六百三十万円誤送金の話題のおかげだ。
 もっとも、この刑法を知らなくても、大半の人はすんなり全額返すだろう。
 私は、パリにいた時、シャンゼリゼ通りで、見知らぬ東洋人の新婚カップ
ルにルイ・ヴィトンでこのバッグを買ってきてほしいと、カタログと何十万
円という現金を渡された。自分達のパスポートで買える枠は使い切ったらし
い。
 彼らは店まで付いてこない。
 シャンゼリゼ通りを渡り切った私の脳裏に、このまま逃げ去る、という考
えが浮かんだ。
 だが、何かうまくいかないことが起こるたびに、私はこの時の行ないに原
因を見出すだろう。割が合わない。
 私を押しとどめたのは、「ひとの金」という考えではない。
 今回、「自分のお金じゃないのに」とテレビで多くの人が口にしたが、そ
れが歯止めにならない人もいるという想像力がない。自分の正義が通じない
相手もいるのだ。
 誤送金された人物は、役場の人に「百万円ぐらいもらえたらなあ」と言っ
たらしい。私は、ここに穏便に解決する糸口があったと見る。
 だいたい、勝手に大金を振り込まれ、銀行に返金手続きに行かされる面倒
を強いられるのだから、金銭的慰藉はあって当然。私は五、六万円ぐらいを
思ったのだが。
 公金からの支出が不可能なら、町長が、自分の小遣いではこれが精一杯な
のです、と泣き落とす。そして、「これを拒んで変なことをしたら、君は人
生を棒に振ることになる」とやんわり脅す。
 そうすれば、誤送金される前の口座残高が六百六十五円だったこの人物も、
手打ちに応じたのではないか。
 なのに、ただもう全額返せの正論。
 役場のミスなのに「自分が責められている」気がしてきて、説得のために
母親を狩り出してこられるに及んで、臍を曲げた、完全に。そういうことは
ないだろうか。
 北九州で、この数年間に煙草の吸い殻を千八百本近く道路の同じ場所に捨
て続けてきた男がついにつかまると、
「吸い殻を毎日掃除する人がいても、平気で自分が捨て続けたら、掃除する
人は悔しいはず。そう想像すると開放感が得られた」
 というようなことを供述したという。
 人の心は、たやすく、ねじ曲がる。
 そうさせないように導く。
 大人の度量。
 ところが、テレビはテレビで、小学校の卒業アルバムにこの人物が書いた
言葉を何度も報道して追い詰めるし。
 真の大人は、どこにいる。