今、長野の善光寺は七年に一度の御開帳の期間中。新型コロナウイルスの
影響で一年延びて八年目だが。
偶然テレビで回向柱(えこうばしら)の建立式までを追った番組を見て、
長野の友にメールしたら、
「見に来たら」
と誘われた。
友は家族で住んでいるが、空き家になっている親戚の家が近くにあり、私
はそこに友と二人で寝泊まりさせてもらう。
着いた翌日、善光寺に行くためにダンナさんが朝五時半に迎えに来てくれ
るという。
真っ暗な中を歩くお戒壇巡りは前回体験したからいい、と私が言わなけれ
ば、四時半出発の予定だった。
狂気の沙汰。
が、六時に着いたら、回向柱の前にはもう行列。
御開帳が終わると僧侶が次々ベンツを買う、と友が噂を口にしたが、さも
ありなん、と納得させられる人、人、人。
私は、お戒壇巡りは不要だが、
「あの真っ暗な中、掃除はどうするのかなあ」
と素朴な疑問を口にし、ダンナさんが、
「灯りがある」
と説明してくれて、
「な~んだ」
戸隠神社も、奥社の社務所に勤める人は毎日あの参道を往復するのか、と
感歎したら、
「車でのぼる」
「え~っ」
いろいろ裏はあるものである。
戸隠神社は、前回、友が体力がないというので奥社まで行かなかったが、
今回は私が一人で行ってくるから待っていて、と言ったら、ダンナさんも行
きたい人だったようで、友が駐車場で待ってくれることに。
雨上がりの霧に包まれた木立に神秘さがいや増す。しかも八時半に着いた
ので人影はまばら。奥社に参拝客はなく、背後に誰も写り込まない写真を撮
ってもらえた。
その後、神社からほど遠くない所にある手打ち蕎麦の名店に、開店十分後
の十時四十分に入店。待たずに座れた。
手打ち蕎麦の名店に行くとなったら開店前か直後を狙うのが県民の標準的
発想だとは知らなんだ。
待つのはストレス。
その回避術を県民食の蕎麦屋に行く時に発揮するのが興味深い。しかし、
それゆえ、蕎麦を食べるのは昼には早すぎる時刻になる。
翌日は、快晴の中、再びダンナさんの運転で志賀高原へ。
三泊四日の旅のあいだに温泉に二度、蕎麦屋に二度連れて行ってもらった。
でも、比較して論評できるだけの能力は開花せず、私はただ赤児のように
彼らが連れて行ってくれる場所を楽しんだだけ。道路の抜け道の知識などを
駆使して限りなく混雑を回避してくれても、それもまた当然と受けとめて。
帰宅したら、湿度の高い空気が待っていた。