ネグリジェ

 同じ物が、昔は「お匙」だったが、今は「スプーン」。
 外来語が日本語に取って代わられた一例である。
 ただ、「さじ加減」という言葉の中に「匙」はしっかり生きている。
 日本語同士だと、たとえば「辞書」。昔は「字引」だったが、これも「生
き字引」という言葉の中に過去が生き残っている。
 言葉って面白い。
 そう楽しめるのは、読んだり書いたりするからだ。目で文字を読むので、
文字そのものにも関心が向かう。 
 そして、普段からそんなふうだと、会話の時もその意識が発動する。
 中学生が、その世代なら外来語を使うだろうと思うのに日本語の単語を使
ったので、「おやっ」と思わされた。
 だが、その言葉を書けない。すぐに音が消える会話の中だったせいで、す
ぐに記憶から失せてしまったのだ。
 でも、彼女の語彙力に興味が湧き、私が質問したところからの会話は覚え
ている。
 私は聞いた。
「じゃあ、夜、寝る時に着るのをなんて言う」
「パジャマ」
「そうよね。ほかには」
 私は促すが、彼女はぽかん。
 え、嘘・・・。
「じゃあ、日本語では」
 たぶん答えられないと思ったが、彼女は少し考えて、あっ、と喜びの声を
あげ、
「寝間着」
 正解である。
 寝間着は思い出せるのに、ネグリジェは思い出せないのか。
 温泉に行ったら宿に用意されている浴衣はここでは除外するとしたら、寝
間着は寝る時に着る服なので、外来語で言うなら、パジャマあるいはネグリ
ジェ。形状でこの二つに分類されると私は思っているが、今の時代、ネグリ
ジェはほかの言葉で言い表わすようになっているのだろうか。
「ドレスみたいな」
 と説明したら、中学生男子が手早くスマホで検索し、二人で画像を覗き込
むと、女子が、
「ああ」
 燦めく声で漫画の題名を言った。
 その中で少女達が着ているのを思い出したらしい。
 ネグリジェと呼ばないのなら、なんと呼ぶのかと聞いたら、
「さあ・・・」
 まあ、私も言葉として知っているだけだから、学生ならもっと疎遠で実感
がないのかも。だから、それを表わす言葉を知らなくても気にならないのか
も、と納得したいが、一定数以上の人が意識するようになると物でも抽象で
も名付けて共有化するのが人の常だと思うと、ネグリジェという存在その物
が十代の世界からは消え失せた気もしてくる。
 もしそうなら、物が存在しなくなって、死語になる。その一例を目の当た
りにさせられたことになり、小さい発見、いや愕然だ。