それもあり、を学ぶために

 その歌詞のところに来ると耳がそばだつ。
 前回紹介したルナン・リュースの『手紙』は、間違って届いた手紙を
勝手に開封したあと、手紙の差出人に恋をするというロマンティックな
歌なので、まだいいが、カリブ海グループのラ・コンパニー・クレオ
ルの歌詞は、ほんと、身も蓋もない。
 父親が、息子の結婚相手は「実はお前の腹違いの妹だ」と言って息子
を失望させ、一方、母親は「父親はあんたの本当の父親じゃないから心
配するな」と言って息子を安心させるって・・・どうなん。
 ほかにも、あした子羊肉の丸焼きとか豪勢な料理が出て、知り合いみ
んなが集まるし、おれは最大級のお洒落をする。妻の結婚式に招待され
てるんだ、という歌とか。
 踊って、飲んで、歌って、お祭りだ。おれは、たぶん、結婚相手を見
つけるさ・・・と続くので、『妻の結婚式』は正しい題名だと納得がい
く。
 しかし、いいのか、こういう歌詞が蔓延して。
 青ざめつつ、心奪われる私。
 そう。私が聴き入るのはことごとく呆然とさせられる歌詞なので、困
惑するのだった。
 もちろん、世の中にこの手の話がないわけではない。ただ、歌にする
と、奨励することになってまずいんじゃないの、と心がざわつくわけで
ある。
 が、そんな私の気持ちに関係なくヒット曲になったようだし、私は、
嫌なら聴かなければいい。それを怖いもの見たさの境地で聴き入ってし
まう。
 変なの。
 いや、そこにこそ、私の深層心理の良き挑戦が潜んでいるのだと気が
ついた。
 自分は自分。人は人。
 それは、自分の意に添わない生き方をしている人を亡きものとして認
識しないという姿勢を取ることとは違うし、ましてや、そういう人達を
最終的には改心させたい野望を秘めて、否定、批難、軽蔑することでも
ない。
 単に、ああ、あなたはそっちを選ぶのね。私はこっちを選びます、と
いうだけのこと。
 それを、相手側を穏やかな目で見ていられず、楽しく生きているよう
に見える人が目に入るといろいろ言いたくなるのは、本当はそっちの世
界に憧れているせいかもしれない。でも、絶対にそっちの世界は受け入
れられない、そっちに行ってはいけない、と自分自身に禁じていると、
難癖つけたり、いちゃもんつけて相手を攻撃するしかなくなる。
 その道を行くなよ。
 心の度量を広くして生きろよ。
 そう気づかせてくれるために、私の深層心理は、聴くと心がぞわぞわ
落ち着かなくなる歌詞に聞き惚れるよう仕向けてくれた。
 そんな気がしている。