本音は匂い立つ

 前回、一つ、嘘をついた。
 嘘、は大げさかなあ。
「話を聞いているうちにわかった気がする相手の本心」の「わかった気
がする」の部分だ。
 回りくどい書き方で、謙虚な良い人を装ってみた。こんな風に書けば、
あんたには人の心を透視する能力があるのかね、などと反応されること
もなく話を進められるとみたからでもある。
 だが、本当は、相手自身が気づいていようがいよまいが私にははっき
り相手の本心を見抜けている、という自負はあった。
「話を聞いているうちに」というのがポイント。
 相手の長い訴えに耳を傾け、共感して相槌打つのに、これでもか、こ
れでもかと、相手は説得補強の例を挙げ続けるので、違和感が芽生える。
 ねえ、あなたの言いたいことはわかった。でも、その事に固執し続け
ても嫌な気持ちが強化されるだけだから、それより、今後どうしたらそ
ういう事態を避けられるかに頭を使った方がいいんじゃない、という思
いで、
「こうしてみたら」
 と提案すると、
「あ、それは無理」
 即座に却下され、無理である理由を延々と聞かされる羽目になる。
 ここまでくればもう、違和感は正しい直観だったと確信できる。
 原因と結果。
 人は、一生、このからくりに翻弄されることになっている。
 明らかに因果関係がない場合も、それでは心が落ち着かないのか、自
分で理由を決めつけたりする。
 遅刻を咎められた子供が胸を張り、
「だって、たんぽぽの花が咲いていたから」
 と答えるようなことが頻繁に起きているのが、この世なのだ。
 もちろん、これとて立派に遅刻の理由たり得る。
 ただ、「たんぽぽが咲いていたのが悪い」「たんぽぽのせいだ」と言
い張るばかりでは、真実から遠い。
 たんぽぽの花を見たら、たんぽぽには在来種と在外種があると聞いた
ことが思い出され、これはどっちだろうと観察しているうちに時間が経
ってしまった、と説明できて初めて、原因を見極めたことになる。
 こんな事あんな事があったとどんなに言い募っても心が満たされない
なら、その人は真の原因に辿り着けていないのだ。
 ただ、それに先に気づくのが、なぜか大抵、話を聞かされる他人、と
いうのが悩ましい。親切心からそれを伝えても、本人に受け入れる心の
準備ができていないからだろう、一気に嫌われる。
 こういう人は、こういう通過儀礼を経て自分の心と向き合う覚悟がで
きるのかもしれないが、絶交される側としては、できれば、他人を踏み
台にせず直接そこに行ってくれるとありがたい。