病院の正解

 社会的な権力を笠に着て、好きに振る舞っていたら、会見などで嘘の
弁明をするしかない事態となり、厳しく糾弾されたあと、逃げるように
病院に避難する人達がいる。
 心身の不調ぐらいで入院させてくれるほど、ニホンの病院はベッドの
空きがあるんだ。
 個室や特別室を長期占有できる財力があれば、病院は笑顔で歓迎して
くれるだけの話である。
 なんにせよ、こういう姑息な雲隠れを画策するようになったら、年寄
りである。
 日大アメフト部の前監督で大学の元常務理事だった内田正人は六十二
歳。やっぱりね。
 ところが、彼より一歳年上の安倍首相が、あと二年で高齢者呼ばわり
されるは嫌だと述べたそうな。そして、名称の見直しを求めると。
 図星を指されて動揺するのは、その渦中にある人である。
 高齢者と呼ばれたくない、と主張するところが、まさに高齢者たるゆ
えんなんだけどなあ。
 意識が、他者の目と乖離している。
 それがますます乖離してゆくことを「歳を取る」と言うのだと賢い人
はわかっているから、そう呼ばれる域に達したら、心密かに悲しんだの
ち、受容し、そう呼ばれるにふさわしい精神の高みを目指すべく、気を
引き締める。
 長老や古老と呼ばれることは、古来、勲章だった。
 年の功は、歳を取らねば手に入らない。
 なのに、権力や影響力に関しては高齢者であることを手放さないが、
高齢者とは呼ばないで、ですと。
 入院という茶番を決行した内田前監督の方が、年寄りという自覚なし
にはできない行動を取ったという点で、軽蔑の眼差しはあるけれど、評
価できることになる。
 さて、去年、煙草を吸い続けてきた八十代の知人男性二人が相次いで
入院したが、一人は、肺気腫なのに煙草を止めず、風邪から肺炎になっ
ての入院だった。
 一週間ほどで退院できたが、二日間家にいただけで、狭心症を発症。
再び救急車で運ばれると、微熱が取れず、見る影もないほどぼろぼろに
なり、耐性菌に感染したのか何なのか、わからぬまま入院が七ヶ月目に
入り、鎮静剤をいつ使うか、という話が出て、体のいい安楽死の提案だ
と家族は受け止めたのだったが、劇的に回復して退院。医者も理由がわ
からないらしい。
 そう聞くと、最後まで治療を諦めない医者の姿勢を王道だと思った。
 一方、私のおじは死んだ。
 肺気腫で自宅治療中、症状が悪化して入院したので事情が異なるが、
おじの最期を聞くと、絶対に諦めない医師は良いのか、と考え込まされ
た。