メールの位置づけ

 去年、パソコンが壊れた際、データ保存に不備があり、何人かのメー
ルアドレスを消失した。でも、必要になったらまた聞けばいいわ、と動
じずにいたら、遠方に住む友達の誕生日に電話をし、ひとしきり喋り込
んだあと、「パソコンが壊れたんだけど、データを取っていなくてメー
ルアドレスをなくしたの。もう一度教えて」と言われた。自分を鏡を見
ているようで、なんだか妙な気分。
 しかし、そうなると、自分のことは棚に上げて、データ管理の大切さ
を力説したくなる。
 で、言った。というか、書いた。メールアドレスを送るメッセージに
「保存はこまめに忘れずに」と付け加えずにはいられなかったのだ。
 すると、「そうなのよねえ。バックアップの必要性は百も承知。人が
困った話も聞いてたけど、我が身に起こる実感はなかった。確かビスマ
ルクだっけ、“賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ”と言ったのは。ま
さにその典型です」と返事が来て、私は目の前の霧が晴れた。
 経験がなければものを言う資格はないのか、と考えそうになることが
あったが、かの歴史的人物は、そんなことはない、想像力や観察力、知
識が総合し合って経験を補う、と名言を残しておいてくれたというのだ
から。インターネットで調べてみたら、この言葉を知らない方がおかし
いと言えるぐらいヒットして、自分の無知が恥ずかしくなったものの、
説教への返礼に素敵な言葉を教えてもらって得をしたなあ。
 ところで、それこそ経験則から今後も使用されまいと判断して、メー
ルアドレスを換えても伝えていない相手がいて、そのうちの一人から
「メールを何度か送ったけど、届かなかった」と手紙が来た。クリスマ
スカードの返信に、フランスの知人が書いて寄越したのだ。
 急いでメールを送ったら、私は覚えていないかもしれないが、面識が
あることは間違いないフランス人が今日本に滞在中で、連絡を取ってや
ってくれないか、とのこと。
 その相手に送るメールに電話番号も書いておいたが、フランス語は久
しく書き言葉に限定されている私としては、メールでの返信を望みたい。
 期待は裏切られた。
 でも、やっぱり電話でよかった。互いの出方や反応を見ながら、スム
ーズに会う約束を取りつけられたから。
 たぶん、それでなんだろうな。私は、携帯メールでご機嫌伺い以上の
深い会話になると、文字を打つより話す方が早いのに、なぜ、そうしち
ゃいけないの、なんのための電話機能よ、と次第に不機嫌になってくる
のだった。