原作への愛と忠誠

「大阪にはうまいもんがいっぱいあるんやで〜」という歌が幼稚園では
やっていると聞き、歌ってもらったが、言われるまで、「Old MacDonald
Had a Farm」のメロディだと気づかなかった。だが、そうと知ると、
亜流に乗っ取られた本家の義憤を感じて、「あんまりだあ」。生粋の日
本人なのに、なんでだろ・・・。本家をしのぐ出来映えに焦ったからか。
星の王子さま』の新訳を三冊、図書館から借りてきた。
 これまで『星の王子さま』と言えば内藤濯訳と決まっていて、違う訳
が相次ぎ出版されることになった理由がわからないが、原書と内藤濯
訳で間に合っていたので、無関心でいた。しかし、人に勧めるのに、読
みもせず内藤濯と決めつけてはいけないか、と思ったのだ。
 音楽を最後まで聴き通すように、一冊ずつ読みきる。
 すると、どの本でも、何かしら引っかかる言葉遣いに出会うことにな
った。
 フランス語の言い回しを忠実に訳したら、斬新な文体になりきれず、
異質に浮き上がってしまったり、耳慣れない日本語のせいで理解が立ち
止まる場合で、それなら、内藤濯の「実業屋」の方がまだましだし、
「はかない」の説明は彼のが一番素直に心に届く。
千の風になって』は、原文を知る人には、その日本語のあまりの飛躍
が戸惑いかもしれない。実は、これより先に、別の訳者による直訳が出
ていたが、心に響くのは新井満の方で、だから、紅白歌合戦で歌われる
ほどに広まった。
 直訳するのは簡単でも、それでは真意が伝わらない時、訳者は大いな
る飛躍を試みることになるのだろう。ただ、行きすぎると別物になるの
で、そこの見極めに訳者の力量が現われる。「山のあなたの空遠く」や
「秋の日のヰ゛オロンのためいきのひたぶるにうら悲し」が未だ名訳と
して人々の口にのぼる所以である。
 ところで、昔話が時に残酷なのは、架空の物語の中でおどろおどろし
さをたっぷり経験することで健全なる精神を獲得するためなのだが、そ
の文学の使命を理解せず、子供の心に悪影響だと、勝手に毒のない話に
作り替えた幼児向けが大手出版社から出版されていることを大人達は知
っているだろうか。
 まあ、学芸会の主役が何人もいるのは変でも、我が子がそのうちの一
人になれるならいいと考える変な親が増殖する現代、それこそ、時代に
寄り添う歪曲であるかもしれないのだが。
 そういう本に当たってしまうのは、その子の運。
 私は、昔話を読む子が減った点に救いを見出している。