今どきの名前

 正月と言えば、年賀状。
 近頃は、ますます読めない名前が増えてきた。
 名前の下に連名で書かれた子供達の名前のことだ。
 特に女の子の名前にそう感じるのは、昭和時代のはやりだった「子」
で終わる名前は、見方を変えれば「子」で終わる名付けゲームとして、
一種、制約があったのに比べて、男の子の名前はもともと自由度が高か
ったために目立ちにくいのかも。
 でも、ルビなしで読めない名前は困りもの。解読するのに、人並みの
教養も、辞書も役に立たない。
 ところが、そういう他人に配慮したルビがないことから、親は読めて
当然と思っているらしいことが伝わってくる。
 運良く読めても、よく、こんな難しい漢字を遣う気になったなあと感
心させられるし、そういうのを三つ並べた構成になっていると、書くの
にかかる時間を思って、「わ、面倒臭っ」。
 一人の女性が産む子供の数が少なくなり、字画の多さを気にせず、む
しろ多い方がそれだけ凝った証しになるとして、好まれる傾向にあるの
かも。
 私は年賀状はパソコンで自作するため、宛名も印刷しようと思えば、
できる。が、それだけは今でも手書きを死守。手書きのひと言を添えず
に送る相手にも、義理で出しているだけだと思われないような気がする
からだ。
 今年から、送る相手に小学生が加わった。英語を教えている子供達が、
去年の最初のレッスンの日に手書きの年賀状を手渡してくれたので、今
年は、私からの年賀状が元旦に届くようにした。相手が相手だけに、デ
ザインも別に考案。
 それは全然苦にならなかったが、宛名を書く段になって、はたと手が
止まった。危惧していた「面倒臭っ」という気分に襲われたのだ。
 こんな画数の多い字は書きたくないよぅ。
 それに、普段、レッスン中に口にする名前は日本語読みでも外国風な
のに、漢字は古風な字の組み合わせで、その字面と本人が重なり合わな
い。
 彼女達が英語で自分の名前を読み書きできることから、外国人に送る
みたいにアルファベットで名前を書くことを閃いた。
 それが一番私らしい書き方だと親にも納得してもらえる立場にあるこ
とで、どれだけ助かったか。
「愛」という名の保育園の先生が「もう、どんな名前の子が来ても驚き
ません」と宣言したけれど、私も同感。
 ただ、これ以上、そのジャンルの相手が増えると、宛名ソフトに頼る
日は来そうである。