そうだ。人類のお婆さんになろう

 ふと思った。
 近頃、本物のお婆さんがめっきり減ったのではないか。
 恋やら仕事やら子育てやら、なんやらで、生臭い感情もたっぷり味わ
ったあと、すべての人をいとおしく思う境地に達し、この世への欲もな
くなった。
 いや、一つだけ。
 欲ではないが、もし耳を傾ける者が訪れるなら、生きる知恵を伝授し
よう。昔話を語って聞かせもしよう。それが、先にこの世を去る私から
の、あなた達への贈り物。そして、最後の使命だと思うから。
 そんな心境で、にこにこ、縁側でひなたぼっこ。
 当然、化粧は紅を薄く塗るぐらい。髪は白くなるがまま。
 それを当然、と決めつけたがるところに、観音様のようなお婆さんが
減ったと私が錯覚する原因が潜んでいるのかもしれない。
 だが、男の人なら仙人。
 身綺麗にはするけれど、実年齢より若くありたい、見られたいとは望
まず、自然に枯れた姿を世に晒す。そういう人の方が、より叡智が光り
輝いて見え、テレビで田舎のお婆さんが映されると、ああ、いいなあ、
と見入ってしまう。
「歳を取ったら、生きているだけで疲れる」
 誰かが、自分の親が、昔、そう言っていたと書いているのを読んだ時、
そうなんだろうな、と素直に想像できた。
 いつか、生きているだけで疲れる日が来る。
 そうなったら、それこそ、人のことより、我が身のことで精一杯。
 いつそうなるかわからないのなら、歳を取ったら、さっさと枯れて、
仙人のようなお婆さんになりたいと思う。
 ラクだもの。
 ・・・って、要は易きに流れたいってことかい、私。
 まあ、そうなのだが、枯れることに抵抗するために費やす時間や労力
を、心の糧となる叡智の吸収に振り向けたいわけだ。
 自然に耳に入ってくる形での良き伝統の継承に積極的でない親や祖父
母のもとに生まれた私は、書物などで、途切れた過去をまたいで、遡ら
なければならないのだが、それは、私がお婆さんになるまで続く気がす
るのだ。
 だが、自分自身が真理を得心し、その数を増やす努力を続けていれば、
たとえば、給食費を払っているから、我が子には「いただきます」と言
わせるなと言う親がいたなら、それは作ってくれた人への感謝もあるが、
肉でも魚でも野菜でも、それらの尊い命をいただいている感謝を表わす
言葉なのです、と優しく諭すことができたりするであろう。
 未婚で、母親になれない可能性は高いが、その気になれば、人類への
お婆さんにはなれる。
 生きる甲斐が見つかりました。