「生きる意味」に捕まるな

 生きる意味って、何。
 そう自問するのは高尚なことのように思いそうだが、この疑問が心に
膨れあがってきたら要注意。
 なぜ今なのか。
 なぜ、去年でも三年前でもなくて、今なのか。
 仕事や、人間関係、病気などの何かがうまくいっていないんだよなあ
と気がつけば、いつもいつも順調な方がおかしいか、とふっと笑いがこ
ぼれ、気を取り直して、「生きる意味」などという不毛な思考にもてあ
そばれる道から舞い戻れるだろう。
 いや、自分が悪いんじゃない、運が悪かっただけと、なおも自分を正
当化しようとするのは、傲慢。
 好きなだけ、悩む振りに溺れていなさい。
「自分なんて生きている価値がない」。
 そう感じている場合は、ちょっと深刻。
 それでも、この感じ方にも、やっぱり傲慢さが潜んでいると思う。
「自分の気持ち」を最上段に措いているから。
 自分は誰からも大切にされていない。必要とされていない。
 そう感じるのはつらいけど、それは客観的にも真実なのか。
 誰かから大切にされている、必要とされていると自分のアンテナがし
っかり感知できていないだけかもしれない、ということは絶対にあり得
ないのか。
 あなたは、存在するだけで、どこかの誰かに影響しているはずなんだ
けどなあ。
 それが正しいと教えてくれるのは、幼き子供達。
 意図して誰かを喜ばそうなんて思っていないのに、彼らは、彼らを見
る人に笑顔をもたらす。
 彼らの「自分の気持ち」と無関係に、そうなる。
 子供時代にそうできたのなら、大人になっても同じこと。
 ただし、生身の誰かと繋がり合おうとする勇気は必要。
 近所のスーパーマーケットに、若干、動作のとろいレジのおばさんが
いる。
 顔馴染みの客が来ると、読み取り機に商品のバーコードを当てながら、
小声でちょこっと会話するので、いつ、そういうことになっても不自然
に見えないよう、普段からそうしているのだと、うがった見方をしたく
なることもあるのだが、私がカゴの中に三種類のジャムを入れていたら、
「コレは今日は安売りじゃないけど、いいの」
 一つを読み取り機に当てる前に聞いてくれ、安売りの二つだけにする
ことができた。
 このおばさんだったおかげだ。
 まさか私が彼女と繋がっていたとはねえ。
 でも、そういうこと。
 だから、疑わなくていい。
 心配しなくていい。
 生きているだけで、気づいていなくても、みんな、誰かと繋がってい
る。