舌のコントロールを失って

 家庭教師先の三姉妹の小六の末っ子が、レッスン後の夕食時に、指に
できたマメを見つつ、
「つぶしてもいいかなあ」
「駄目」
 高三と私は、同時に同意見。
 新しい皮膚が再生されたら自然にはがれるから、それまで放置すべし。
 経験者なので自信満々で言える。
「ふーん」
 末っ子はいささか不満げ。
 一方、私は、思いがけずこんな話になったタイミングに幻惑されてい
る。
 私が話したいことを切り出しやすい雰囲気が自然にお膳立てされたわ
けだから。
 二日前、夕食中に、歯が口の中の食物を噛み砕こうと今にも上と下か
ら迫り来るさなか、なぜか舌が一瞬歯より外に大きくはみ出した。
「やばッ」
 焦って舌を引っ込めるも、舌の一部に歯が食い込んだ。
 途端に舌が腫れ上がる。
 六ミリぐらいの三角形の、底辺のみが舌本体と接続し、残る二辺は上
にこんもりと盛り上がり、そこから舌本体まで赤い粒状の肉がみっちり、
という状況が出現したのだ。
 何度も舌を噛むようなら脳の指令系統に乱れが生じている可能性あり、
とインターネットで読むと不安になる。
 舌の上の三角突起は一生このままなのか。口の中の違和感と共に生き
るしかないのか。
 もし治った場合、でも破損した味蕾(みらい)は復元せず、私の味覚
は一部欠損するのか。
 考えると、ますます不安が増す。
 切るのが回復への正解なら、急がねば。
 そう発想したのは、夜寝る前までは繋げていたインターネットが、翌
朝繋げなくなった場合、そのうち復旧するだろうと希望的観測を抱いて
いる暇があったら、さっさと電話して、原因究明あるいは解決を依頼す
ること、と学んだからだ。
 しかし、舌は機械ではない。
 それに、切るなら、盛り上がった肉ごと切り取らなくてはならず、気
弱に様子を見ることにした。それでいいのかと内心鬱々としながら。
 手マメの話が出たのは、そんな時だった。
 結局相談はしなかったけど。
 だって、経験のない人に訊ねても無意味だろうし。
 さて、二週間後。
「あ?」
 そう言えば口の中の違和感が消えたなあ、と鏡を見ると、突起はしぼ
んで、元の場所に収まっている。
 切らなくてよかったあ。
 心の底から安堵し、後日、この顛末を話したら、三人姉妹の母親が、
口の中は自然治癒力が強いのよとのたまう。
 え、じゃあ、あの時相談していれば、いらぬ不安からすぐにも解放さ
れていたってこと・・・?!
 聞いても無意味、かどうかは聞いてから判断しても遅くない。
 新たな学びが一つ増えました。