人は砂でも死ぬ

 砂浜に掘った落とし穴に、何も知らない夫が落ちたら、あとで夫婦で
大笑い。
 そんなたわいないひとときを予定していたであろう二十三歳の妻の計
画は、しかし作った穴があまりに大きすぎ、かぶせたシートの上の砂は
多すぎ、しかも雨が上がって乾いた砂が砂地獄となって、同い年の夫も
ろとも生き埋めになった。
 二十七日の夜、石川県大崎海岸での出来事である。
「愚か」
 と一刀両断するのは、たやすい。
 でも、大の大人を本気で驚かせようとしたら、私だって、直径二メー
トル四十センチ、深さ二メートル五十センチの大きさになるまで穴を掘
り続けたかも。
 愛する夫を驚かせるのに落とし穴を思いつくか、という疑問は残るけ
ど。
 だからだろうか。
 私は、すぐに、前に見たテレビ番組を思い出したのだった。
 もうこれ以上何事も起こらないと信じた出演者が安心しきって車に着
替えに戻ったら、そのドアの真ん前に大きな落とし穴があってズボッと
落っこち、共演者達から、とどめの大笑いが沸き上がった番組。
 この番組を、死んだ彼女が見たかどうかはわからない。
 私は、偶然ちらっと、この番組の落とし穴の場面に遭遇し、
「これって、そんなにおもしろい?」
 と全然笑えなかったけど、誰かへの大がかりなサプライズを企画しよ
うという時は、思い出して参考にした可能性がある。
 テレビの落とし穴は砂浜ではなかった。
 でも、砂浜なら、簡単に作れて、簡単に元に戻せるからね。
 幼い時に海水浴に行った海岸で、お城などを作った時、砂を固めるた
めに海からせっせと水を運んできたであろう。
 時間が経つと、お城は、砂が乾いて自然に崩れた。
 その記憶はあっても、記憶が知恵にまで高まり、落とし穴を作る際、
天気と穴の大きさに注意しなければ、という危機管理に結びつくかどう
か。
 普段から自然と深く付き合い、自然を観察し、どうなったらどう対処
すべきかが身に付いていない人間は、危ういのである。
 正しい判断力はないのに、思いつきを実行する大胆さだけは持ち合わ
せていたりするから。
 今年の夏も、橋や岩場から川に飛び込み、そのまま流されて見つから
なくなった人が何人かいたようだが、生死を分けたのは、一にも二にも、
その行為が安全かどうかを判断する本物の能力だったのではないか。
 それなくして難を免れたとしたら、単なる僥倖。
「自分だけは大丈夫」
 能力のない者の自己過信は無駄死に繋がりかねないから、要注意。
 今回、改めてそう学ばせられた。