四年目の金魚

 今年も、夏の終わりに駅前でお祭りがあった。
 金魚すくいはない。
 三年前から、なくなった。
 もっとも、私が金魚を飼いたいと思い立ったのはその一年前の夏で、
それが最後の夏になるとも知らず、子供達に混じってポイを握り、四匹
もらって帰れたのはラッキーだった。
 私の生活圏内に金魚を売っている店はないのだ。
 さて、四匹中、生き延びたのはオスとメスが一匹ずつだった。 
 水槽におびただしい卵が張り付き、そこに朝日が差すと、キラキラ、
美しい。
 だが、金魚も老いると産卵しなくなるのか、やがて、そういうことも
なくなり、去年の春にメスが死んだ。
 残されたオスは寂しかっただろうか。八センチほどの体長に育ってい
て、彼一匹でも水槽は狭そうなので、のびのび泳げて、案外、ご機嫌だ
ったかも。
 と、先日、帰宅したら、腹を横にしてぷかぷか浮いている。
 私は、すぐさま塩を大量投入した。
 このオスに関しては、過去に二度、塩で健康を回復させているので、
塩はもう、目分量でドカドカ入れる。インターネットで「こんなに大量
に入れて大丈夫か、と思うぐらいで、ようやく適量」と読んで、ためら
いが消えたおかげだ。
 しかし、今回は、それではからだの均衡が戻らない。
 別の水槽に水を張り、塩を投入して、そちらに移す。
 効果が現われないどころか、水の上に、なんか白っぽいゴミのような
物が浮かんでくる。
 カラになった方の水槽を洗って、再度塩水を張り、金魚を移すも変化
なし。
 死ぬならさっさと死ねたらラクだろうにね。
 私も気持ちがざわつかなくていいよ。
 私は早くも諦めの境地。
 そして翌朝。
 もう金魚は昇天していると覚悟していたのに、普通に泳いでいる。
 危機は脱したのだ。
 安堵して、でも、念のために塩水は続けたが、その夜は迷った。
 別の水槽に塩水を用意したが、結局、そちらには移さずにいたら、翌
朝、金魚は昇天していた。
 よく、「しない後悔より、した後悔」の方が傷が浅いと言われる。
 私は、迷ったのなら、せっかく用意したことではあるし、新しい塩水
に金魚を移すべきだったのか。
 思ったのに「しなかった」という意味では「しなかった後悔」になる
が、夜に冷たい水に移す方がからだに毒だと考えたのは、考えることを
「した」から「した後悔」と見なせる気もするんだけど。
 なんにせよ、二つを同時に試して未来を検証することが不可能である
なら、「しない後悔」の方がより尾を引くと言われても、本当にそうな
のかなあ。
 疑問は残る、と私は感じた。