喪中(フランス旅行記)

 マダムBは、友達のおかあさん。
 友達が日本に住んでいた時、夕方六時や七時に彼女を外食に誘うと、
毎回、
「日本は夕食が早すぎる。うちでは早くても八時だったわ」
 と言われた。
 現在、彼女はロサンゼルス在住で、会えなかったが、おかあさん宅に
泊めてもらって、彼女の言葉に嘘はないとわかった。
 帰宅が遅れて夕食が九時スタートになっても顰蹙を買わないのだ。
 もっとも、夕食後もお喋りが続いて部屋に引き上げるのが夜中の一時
や二時になるのは、これまでのマダムBとのスカイプ電話やメールのや
りとりから察するに、通常ではない。
 私がいる間だけの特別。
 私は、時差惚けのせいか、そんな遅くに寝ても、朝四時頃から断続的
に目が覚め、それでも昼間眠たくならなかったので、この特別はありが
たかった。
 朝は普通に始まる。
 しかし、昼食が終わると二時を回っている。
 それでは、
「遠出ができない」
 昼食に招待されて三日目に、マダムDが、私を乗せた車の中で不満を
爆発させた。
 彼女は、部下を持つ高給取りだった仕事を辞めて以降、自称アーティ
ストで、ブルターニュでは、
「創作活動に専念する。私のことは気にしないで」
 と予告し、そのための荷物も膨大に運んできていたので、私は困惑。
 まあ、気が変わったのなら、招待を断り、早朝から観光に出かければ
いいんじゃないの。
 私は一緒に行かないけど。
 私にとって、マダムB宅に寝泊まりすることが祝祭になる。
 マダムB夫妻にとっては、私の存在が祝祭になる。
 互いにそう期待するから、泊めてもらおう、泊めてやろうという話に
になるわけだが、泊めてもらう側は、相手の家のリズムに馴染む必要が
ある。嫌なら、ほかに宿を取ればいい。
 幸い、私は、フランスにいるというだけで大満足で、マダムB宅から
一歩も外に出なくてもいいぐらい。
 それに、マダムBが事前に計画してくれていたようには私を観光に連
れて行けなくても当然だと感じる。
 私が来る二週間前におとうさんが急死されたのだ。
 前日まであんなに健康だったのにと、すぐにマダムBから長いメール
が届いた。
「信じられない。悲しい。人生はなんてむごいの。眠れないのよ、キク」
 私は彼女の家への宿泊を辞退するも、絶対予定どおりうちに泊まって
ほしいと言われ、そういう一連をすべてマダムDに伝えてあったが、直
接の知り合いでないと、相手の心境に思いを致すより、
「私は時間を無駄にできないバカンス客なのよ」
 という思いの方が優先するのであったか。