数学の問題

 やば。
 またもやミスった。
 前回″やすとも″の「やすよ」と書いたのは、「ともこ」が正解。
 ブログは訂正しておいたが、うろ覚えで書いたのではないだけに呆然
である。
 ミスの背景を検証してみる。
 まず、私は「やすこ」と書いた。
「ともこ」と書くつもりが、漫才以外の番組で、
「やすよ、ちょっと見て」
 とか、ともこが妹の名前を呼ぶのが耳に残っていて、二人の名前を合
成してしまった模様。
 この単語でこれ以上ミスをするのは避けたいと、念のためにウィキペ
ディアを見、その結果、「やすよ」が選択された。
 ウィキペディアに、やすよは「妹」、ともこは「姉」と記載はある。
 生年月日も。
 だが、普通はカッコ内に載る年齢が、″やすとも″の場合は対象者が二
人だからか、載っていない。
 たぶん、私は年齢を確認したかったのだろう。
 数字が鬼門の私は、生年月日から年齢を割り出す計算を間違えるとい
うあり得ない離れ業をやってのけたようで、
「姉が、やすよかぁ」
 と納得。
 こういうのは″天然ボケ″と言わないのかなあ。
 先日、母親の携帯電話を持って携帯ショップに行き、母親の誕生日を
聞かれた時は、すらっと答えたら、
「名前と誕生日が一致しません」
 そんな馬鹿な。
 馬鹿なのは私の記憶であったと、携帯のアドレス帳で確かめて一件落
着したが、大丈夫かい、私の記憶力。
 記憶以外の手立てで正解に辿り着けるのであれば、悲観することはな
いかも。
 人には得手不得手がある。
 私は、それが数字ってだけのこと。
 ところが、そんな私が、このところ数学を教えている。
 個人的に英語を教えている高校受験の中三女子が、英語は大丈夫だが、
数学はお手上げ、と言ったのだ。
 久しぶりの数学で、教えられるか不安だったが、暗算という新幹線に
乗らず、無骨に一つ一つ計算を積み重ねる鈍行列車の乗客でいる限り、
私の致命傷は目を覚まさない。
 彼女が解けなかった入試問題や予想問題を一緒に解いているうちに、
すこぶる良い気分になった。
 数学の図形や関数は、大抵、一つの問題が二つぐらいの設問から成り
立っている。
 一つ目を解くと、その答えを利用して二つ目の問題が解ける。
 そんな風に手を差し伸べてくれている。つまり、考え方の道筋を教え
つつ能力を試すというのが、気高き精神ではないか。
 一方、英語は、四択、穴埋め、並べ替え・・・。
 英語の能力と直接関係ないことで頭を混乱させようとする。
 だから、私のからだは、英語の問題には嫌悪と拒絶反応なのだった。