試験で育みたい能力

 個人的に英語を教えている中三女子が、志望校に合格した。
 嬉しいなあ。これで、入試対策に過去問や問題集を教材を使うことか
ら解放される。
 穴埋め、四択、並べ替え、・・・。
 私の学生時代と相も変わらぬ問題形式。
 試験とはそういうもの、と従順だった当時の自分自身が懐かしい。
 だが、
「もう勘弁して。今の若者達には違う方法にしてあげて」
 私は心の中で叫んでいた。
 だって、こういう問題は学生を「愚弄している」。
 この手の問題は、熟達すればするほど、正しい知識をすばやくひっぱ
り出してこればいい範疇において、有能なる人間となれるだろう。が、
「論理的思考を自分一人で完結する」、ひいては「大局を見る」能力は
鍛えられない。
 断片化した思考で良し、と訓練され続けるわけだから。
 そう気づいたのは、フランスの大学の日本語学科で、期末試験の問題
を見た時だった。
 和仏訳は、問題文の日本語はほとんどひらがなだが、行変えなしで三、
四行。それが一、二問。
 仏和訳の問題文は、これまたフランス語が行変えなしで三、四行。そ
れが一、二問。
 外国語学習一年目だとしても、大学生だから、私達が中一で初めて英
語を習うより六歳以上年上。その年数分だけ、彼らの方が知能は高いは
ず。それでも、漢字、ひらがな、カタカナと文字は三種類あるし、文の
構成もまるきり違う異国の言葉なのだ。その修得能力を、こういう問題
形式で試されて、ちゃんと解答できるのか。
 実はこの方がずっと親切なのだった。
 学生は、自分の持てる実力で一文一文訳していけばいいのだから。
 全部自分で書くとなったら、中途半端な記憶は容赦なくあばかれる。
 わからない単語は空白にするしかない。
 まともな文章は一つも書けないかもしれない。
 だとしても、「丸ごと訳せ」という文章題を″ひっかけ問題″と呼ぶ
ことはない。つまり、問題形式の″王道″ってこと。
 私の感じ方は間違っているかなあ。
 不安に思っていたら、麻布中学で「ドラえもんが生物ではない理由を
述べよ」という主旨の入試問題が出て、大人のあいだでも話題になって
いると知った。
 新聞で見た京都大学の英語の二次試験は、まさしく、フランスの大学
の期末試験と同じで、日本語あるいは英語を何行も書かせる問題、それ
のみでできていた。
 心の底から嬉しかったなあ。
 こういう問題は、質問のレベルを上下させれば、すべての学校で採用
可能。
 できないとしたら、採点に自信が持てない先生のせい、ということに
なろう。