初老は何歳

 前回、「初老の元アナウンサー」と書いたけど、合っているかなあ。
 ふと不安になった。
 そのアナウンサーは七十三歳で結婚したのだ。
 広辞苑には、初老は「老境に入りかけた年ごろ。四十歳の異称」とあ
る。
 四十を過ぎれば、白髪や老眼。
 白髪を染め、眼や肩の疲れを我慢して老眼鏡に抵抗し、若さを気取っ
ても、本物の若さじゃないから、初老。なるほど・・・。
 納得しかけたが、「老境に入りかけた年ごろ」という定義の方が先に
出ているので、「老境」を調べると「老人の境涯。晩年」。
「晩年」は、三番目に、私にも馴染みの「老後」という説明。
 四十歳も老後も初老って、あまりに幅が広すぎないか。
 ところが、「初老期精神病」は「ほぼ四十歳から六十代前半」の患者
だそうで、ふーむ、生物学的には四十歳頃から初老なんだ。
 ちょっとショックかも。
 なんであれ、元アナウンサーを「初老」と定義したのは不正確だった
とわかった。
 年齢を書けば済んだ話である。
 でも、数学や物理じゃあるまいし、なんでもかんでも数字で表わした
のでは、文学的な情緒が吹っ飛ぶしなあ。
 今回のことで、「初老」を何歳ぐらいだと直観していたか、突き詰め
て考えさせられたのは、よかった。
 そして、「老人」でもいいのに「初老」と表現したところに、私のま
なざしの優しさがあったと、ひそかに満足。
 ただし、まなざしは、他者には甘く、自分自身には少しきびしいぐら
いの方が生きやすいだろう、とは見ている。
 居直ってラクになれるから。
 ″やすとも″のともこは、
「はっきり段差がある所は大丈夫やけど、えっ、ここに段差があったん、
という所でつまづくようになった」
 と言っていた。
 中村江里子は、老眼鏡を買ったとブログで公表。
 自分自身に自信があると、自然な老化を怖がらないし、隠さなくて済
むのだろう。
 自信とは、ありのままの自分を認めること。
 ちなみに、前回分でもう一つ。
 ゴミ屋敷の住人は「男性」、町の行政担当者は「女性」だったが、明
記しなかったのは、テレビで彼らを見た私には当たり前の事実だったか
ら。
 しかし、「上司」としか言わなかったら、「男性上司」と思い込まれ
る、みたいな、社会常識やその人個人の経験による思い込みで、間違っ
て受け止められた可能性に思い至った。
 とめどなく喋っていい時でも、それぞれが当たり前だと思っているか
ら敢えて確認し合わない。ために、齟齬(そご)や話のすれ違いが起こ
ることは多々あるから。
 正確に語るのは、むずかしい。