日本人的感傷

トムとジェリー』の動画がインターネットにあると知り、第一作目の
『上には上がある(Puss Gets the Boot)』を見たが、続く二作目、三
作目・・・は探せないなと諦めた。動画の数が膨大すぎる。
 しかし、『トムとジェリー』の最終回というのはある。
 なんで「幻の」なの、画面に日本語のテロップが流れるだけなの。
 そういう小さな疑問は、
「ジェリーが大人になった頃トムはもうこの世にいませんでした」
 のテロップの所で最大級に。我が脳は機能が停止。
 ジェリーって猫だったっけ。だって、猫の方がネズミより長生きする
ものでしょ。
 一旦そこで動画を止め、どうやって調べるのが手っ取り早いかなあ、
あっ、と主題歌を歌ってみることにした。
「トっムとジェリー、仲良く喧嘩しな。トムトムトムにゃ〜ご、ジェリ
ージェリージェリーちゅう」
 ジェリーはネズミであると難なく解決。主題歌がこういう時に役に立
ってくれるとは新発見である。
 それにしても、ということは、ネズミの方が猫より長生きするという
大前提でこの話は進むのか。強い違和感が芽生える。
 それでも、とにかく動画を再開。
 泣かされた。私の心の弱い所に突き刺さる温かいお話だった。
 しっかり泣いて、そのあと、私はこういう話に涙させられた自分自身
が嫌になった。
 いつも元気なトムが実はもう随分な年齢で、ジェリーが大人になった
時には死んでも当然だったという不自然さの上に成り立つ話に私の心が
鷲づかみにされたことに困惑したのだ。
 客観よりも感傷が優先して良い、とは言い切れない。感傷は感情、気
分であり、「私はそう感じた」という主観ですべての客観的事実を蹴散
して是とする態度は危なっかしいことも多いからだ。
 だが、この話に胸締め付けられる心地好さを引き出された私は、内な
る日本人的な感傷気質があぶり出されたわけで、科学的客観的事実より
情にほだされやすい自分、と知っておく必要はあると思った。
 ところで、今放映されているのは子供向けの毒のないドタバタ・アニ
メ時代の作品のようだが、もともとは、映画館で次のフィルムの架け替
えまでの時間を埋めるために作られた劇場用の大人向け風刺短編だった
とか。
 感傷大好き日本人気質と異なるアメリカ人気質を感じる。
 生きている国も違えば文化も時代も違うから、私に当時の痛烈な風刺
が理解できるかどうかわからないけど、一度見てみたいなあ。
 一九四O年から一九五八年のハンナ=バーベラ第一期の作品を見る手
立てはあるのだろうか。