押しピン

 先日、友達と京都の北野天満宮に向かって歩いていたら、後ろから頻
繁に自転車に追い越される。
 私は自転車と袖振り合う危険な側にいるので緊張させられるが、さり
とて、
「ちょりん、ちょりん」
 ベルを鳴らして追い立てられてもなあ。
 ちなみに、この「ちょりん、ちょりん」。聞こえたベルの音を再現し
ようとしたら、こんな擬音語になった。普通は「ちりん、ちりん」と言
う、と気づいたのは、そのあと。
「ちょりん、ちょりんとベルを鳴らしたら、あかんのにねえ」
 道路交通法違反の行為である。
 よって本人の耳に届いても構わないが、面倒なことになって楽しい観
光にケチが付いてもつまらないので、自転車が十分遠ざかってから、言
った。
「ほんまに、そうよねえ」
 応じたのは友達ではなく、次に後ろから近づいてきた自転車の女性。
 あわわ。
 普通に喋ったのに、なんで聞こえたんだろう。
 が、その女性。私の意見に深く同意する旨を表明すると、さっさと走
り去る。
 こんな風にいきなり話しかけてくる人は、たまにいる。
 大抵は買い物中だ。まるで旧知の知り合いのように、挨拶もなく本題
に入る。私が答えれば終わり、という場合であっても、相手は少なくと
も礼を述べてから離れていく。一応、会話が成立するわけだ。
 ところが、自転車の女性はそうではなかった。
 彼女は速度を緩めたので、ちゃんと私に聞いてほしかったのだろう。
でも、私が振り向いた時には、もうスピードを上げていた。
 私の反応は必要なかったのか。
 そうなんだろうな。会話までは求めていないが、自分の考えはちゃん
と主張したい。そんなやむにやまれぬ衝動を押さえきれなかったのだろ
う。
 ある年齢を超えると、見知らぬ人に話しかけたり、見知らぬ人の会話
に横入りするのが平気になる気がしている。
 ほとんどが女性だ。ひとの子にも我が子同様話しかけているうちに、
知人か否かはどうでもよくなるのかも。
 人みな友達。
 帰りの電車に中学生ぐらいの子供がいそうな主婦の一群が乗り込んで
きた。
「ねえ、ゆわくって言う」
「何、それ」
「そんなん言わへん」
「どこかの田舎言葉なんちがうん」
 笑い声が弾ける。
「ねえ、押しピンって言うやんねえ」
「言う言う」
「東京では通じへんねんて」
「嘘ぉ」
 耳をそばだて、笑いを噛み殺しながら、私はうずうずしてきた。
 ああ、会話に参加したい。
 ある意味、厚かましさである。その衝動を自覚する私は非婚で子なし。
 ということは、子のあるなしではなく、単に年齢なのかなあ。