ご褒美は神様から

 日帰りでも近場でも、友達と一緒に観光に出かける時は、どこをどう
回ると効率が良いか、いろいろ調べて、時刻表や最寄りの駅からの地図
なども必要な部分を抜粋してまとめ、印刷して持っていく。
 当日はそれに沿って行動。時間の無駄なく遊びきれる。
 友達も満足そう。
 でも、私に下調べを任せて、ただ楽しめばいいんだから気楽よね、と
嫌な感情が湧くことは、ある。
 私がしたくて、しているだけなのに。
 友達の笑顔では報われた気になれないなんて。
 そんな私に本当のご褒美をくれるのは、神様。
 厳密には、「人」を介して「神様」がそれでよかったんだよ、と伝え
てくれたと感じられたら、私の心は至福に染まる。
 先日フランス人が京都に来た時は、ご褒美をいっぱいもらった。
 彼とは一年ぶりぐらいの再会だったが、会って早々、マゼンダ色のマ
フラーをくれた。私のグレーのコートにとてもよく似合う。でも、買っ
たばかりのそのコートのことを彼が知っているはずはない。
 神様が彼にその色を選ばせた、としか思えない。
 私はすぐにそれを巻いた。
 夕方、雨が降り出した中、五条坂の清水焼の店で、店主の女性に、こ
れから茶わん坂に行くと話したら、息子の店がそこにあると言ってわざ
わざ電話し、私達がこれから行くと伝えてくれた。
 その息子さんの店では何も買わなかったが、その日は清水寺の夜の特
別拝観の最終日。
「行く価値はありますかねえ」
 意見を乞うたら、招待券を二枚くれた。
 券をもらったなら、大雨でもとりあえず行っておこうか、となって当
然だと思うが、入口で入場券を買う場合、長蛇の列に並ぶ必要があると
わかり、それを横目にさっさと中には入れた私達は、ただもう感謝であ
る。
 清水寺を出たら、彼が「今日は肉が食べたい」と言うので、一度行っ
てみたいと思っていた塩ホルモンの店を目指すことにした。できれば、
川沿いでない所にあるという本店に行きたい。
 真っ暗な中、適当に歩いたら、吸い寄せられるみたいに本店に辿り着
いて、あり得ない奇跡に驚く。
 しかも、すぐ席に着けた。
 前日は二時間待ちだったそうで、一時間待ちでも私は並ぶのを諦めた
と思うと、これまた信じられない展開である。
 物事がスムーズに行ったり、全然知らない人からよくしてもらうのは、
自分でコントロールできることではない。
 だから、神様からのご褒美だと受け止め、心満ちる私。
 いい気なモン、かなあ。
 うん、たぶん。
 嫌な事は、軽くやり過ごす離れ業も持ち合わせているのだから。