五パーセントは常に疑う

 友達と奈良に行った夕方、喫茶店でくつろいだら帰るつもりが、夕食
も食べて帰ることになり、店を変え、注文してから、私達、今日中に帰
れるのか、と不安になったら、スマホを持っている友の出番。
 ささっと調べ、絶対この電車に乗らねばならぬ、というのを検索して
くれた。
 出発地と降車地を入力すれば交通機関の乗り継ぎを教えてくれる路線
アプリは、私も、事前に一日の観光日程を立てる時にパソコン上で使う。
 が、調べたあと、それぞれの交通機関のホームページで時刻表を確認
する。
 すると、こんなに本数があるのなら、これに乗ってもいいかも、とか
イデアが湧く。
 けど、こういう手間を省かない一番の理由は、私が路線アプリを盲信
していないことにあるだろう。
 おおもとの情報をどういう物差しで加工したのかまではわからない。
その物差しが採用している歩く速さがすでに私の実体と違う可能性は高
いのだ。
 それに、こういう行き方もあるはず、と経由地を指定しても出てこな
いことは、実際にあった。
 ま、そんなもんだろう、とおおもとに当たって解決した。
 完璧は期待しない。
 常に五パーセントの疑念は持ち続ける。
 この姿勢は、おおもと発信の情報に対しても発動する。
 だって、所詮は人の世。
 人の一員である自分自身を省みれば、完璧を目指しても間違うし、都
合が悪い事はうまく隠し通せないかなあ、と心が姑息に動くことも体験
している。他人にだけ厳しくなるのは違うだろう。
 テレビで、加工食品やお菓子の製造工場に潜入する番組をたまにやっ
ているが、ああいうのを見ると、私達は本来の食べ物からひどく離れた
物を食べているんだなあ、という感慨になる。いつでもすぐに食べられ
る便利さのために、生のものを目の前で調理して食べるという食の根本
から遠ざかっている現代社会を思い知らされるのだ。
 ほとんど機械任せだから清潔で安心、とは思わない。
 五パーセントの疑いのおかげだ。
 だから、食品に異物混入したニュースを知っても、驚かない。
 その際のメーカーの対応の不手際が消費者の怒りに火を付けたと話題
になると、不思議な気持ちになる。
 なんでそんなに傲慢に完璧を求められるのだろう、とそこがわからな
いのだ。
 信頼しきるから、裏切られたと思うのではないか。
 そうならないための常に五パーセントの疑いだとしたら、この心構え
は案外いいかも、と思う。
 しかし、こんなことを書いている場合ではない。
 大掃除を終わらさねば。
 今日は大晦日だ。