〈准〉高齢者?!

 高校生の時に、友達のお兄さんの結婚式でピアノを弾いてほしいと頼
まれた。
 お兄さん、二十五歳。
 十六、七の私は、まあ、なんて遅い結婚、と思い、見合い結婚だと知
ると、おかげでぎりぎりで結婚に滑り込めて、よかったですね、と思っ
た。
 だが、私がその歳になると、二十五歳で、しかも男の人が身を固める
のは早い、と思うことになった。
 そして、私は私の手を見た。すると、もう二十五歳なのに、なんで、
こんなにつるんとして若いんだろう、と戸惑った。
 こんな風に心が動いたことを覚えておいた方がいい、と思ったから、
今も思い出せるわけだが、当時は、年齢に関して、かくもいい気な思い
込み、思い違い、あるいはズレた感覚を持つものだと、のちのちわかる
ことになるとまではわかっていなかった。
 でも、そうかあ、そうよね。一番いいのは歳相応。歳相応だと受け入
れて、抗わないこと。
 そう学んだからかもしれない。
「その白髪、どうします」
 という広告を見ると、
「え、別にどうもしなくていいんじゃないの」
 と思う私。
「病気じゃないんだし」
 でも、こういう広告が成り立つと言うことは、大抵の人は白髪に拒否
反応があるってことなのかな。
 だが、白髪は染められるが、いずれ細かい字が読めなくなったら、老
眼は老眼鏡以外で誤魔化せない。
 なんにせよ、順当に老いている証拠だ。
 四十を過ぎたら、遅かれ早かれ、そうなる。
 太古の昔からそうで、栄養が良くなり、医療が進化した現代でも、四
十を過ぎたら中年だ。
 私達の身体は進化していないのだ。
 だから、白髪や老眼でからだの老いを実感できるのは救いだろうな、
と私は思っている。
 人は身体で出来ているのであって、つまり人は自然であり、老いは不
可避だ、と思い知らせてもらえるのだから。
 そういうことでもなければ、若くあり続けられるという幻想にしがみ
つき、それが真実だと自分で自身を欺くことになる。
 あんまり良いことではないだろう。だって、認めるのが遅れた分だけ、
認めるとなったら、心の打撃は大きい。
 かように考える私は、ゆえにあっさり白旗を揚げるのが好きなのかも
しれない。
 先日、高齢者は七十五歳からで、六十五歳から七十四歳までは〈准〉
高齢者としたらどうか、という提言が出されたそうな。
 誰に、どんな得があるんだ・・・。
「あなたはまだ若くて〈准〉に見えますから、優先座席は無関係ですよ
ね」
 と言っていい相手を大量生産しようってことなの。
 な〜んて嫌味を言いたくなった。