続・ある初老の母親と息子

 仕方なく、私は白髪の老女に近づいた。
 というのは、階段で遭遇した時、彼女に対して彼女の息子とおぼしき
男が一方的にまくし立てていて、階段を降りる私の背後から、
「せっかく出かけてきたのに」
 というような言葉の断片が聞こえてきて、私は、母親は認知が入って
いて、そんな母親に振り回されることへの怒りが男の中で爆発したのだ、
と理解したのだ。
 男が鋼鉄の扉をガンガン叩くと、どうか、その手をお母さんには向け
ないでね、と心の中で祈った。
 そんな二人が一階の扉から現われ、母親が、
「タクシーで帰ろう」
 と息子に言い、それを無視して息子がビルの外に出たのを見ると、私
は知らん顔をして立ち去れなかった。
 と、彼女が言った。
「息子はちょっと精神を病んでいるんです」
 ・・・。
 話が見事にひっくり返った。正常なのは母親の方で、彼女は背を丸め
て息子の暴言に耐えていたのか。
 しかし、乗りかかった船だと思い、彼女を息子と合流させるところま
で付き合うことにした。
 年寄りを無闇に歩かさぬよう周辺に目を凝らす。
 遠くに男が見えた。
 そこに向かいつつ、母親に何があったのかと問うと、息子が痔がひど
いと言うから連れてきた、でも今日は岡山に行くつもりだったのにと怒
り出し、診察してもらわずに帰る、という返答。
 痔・・・?
 後日、そのビルには心療内科があるとわかったので、母親は咄嗟に体
面を取り繕った可能性はある。
 息子が今日岡山に行くことは知っていたのか、そもそも働いていない
という彼にそのお金はあるのかと聞くと、どちらにも明快な否定が返っ
てきた。
 息子のほかにも子供がいて、助けてくれたりしないのか、という問い
には、
「いますけど・・・」
 語尾が掻き消えたので、どこから来たのかと質問を変えた。
 三つ先の駅名を聞いて、それなら電車の方が早いと伝えると、
「息子は関西が大嫌いなんです」
 あ〜あ。
 息子自身はその論理に破綻はないと胸を張っているかもしれないが、
突っ込みどころは満載。見知らぬ人の中が嫌なだけだろう。
 なぜか、その日は目の前の路上に駐車違反を取り締まる警官が二人立
っている。
 もし息子が再度母親に暴言を吐くようなら、任務違いでも警官は警官、
助けを求めようと思ったが、息子は内弁慶なのか、おとなしい。
「ありがとうごさいました」
 母親が頭を下げ、私は涙ぐみそうになった。
 親は、一生、子の親だが、せつないなあ。
 家族のことでつらいことがある人に、心安らぐ人か場所があるのかな
あ。あったらいいな。