若く見えるだけ、は痛ましい

 フランス人の男友達が先日送ってきてくれたのは、十五年以上も前に
テレビで何回かに分けて放送されたジェラール・ドパルデュー主演の
巌窟王モンテ・クリスト伯)』と『レ・ミゼラブル』だった。どち
らのDVDも二枚組。それぞれ表と裏に録画があるので、要はDVD四枚組
みたいなもの。一日で見られる長さではない。
 そんな時間、取れるかなあ。
 一応、冒頭部分だけ観てみた。冗漫だったら、即、観るのをやめよう。
 それぞれ六時間以上の大作だったが、物語はまだ続く、まだまだ楽し
めるんだ、と安堵し、終わりに近づくのを恐れつつ観ることになり、我
ながら驚きである。
レ・ミゼラブル』にジャンヌ・モロー修道院長の役で出ていた。
 修道女の服で髪を隠していても隠せない、顔中の皺。野太い声。威厳
に満ちている。
 修道院長の役らしいけど、顔を見たらとてもそうは思えない、でも、
長として人の上に立つ高齢の役なのよね、と何度も意識しながら観ない
といけない、なんてことはない。視覚が勝手に正しく理解してくれて、
とっても楽。
 ニホンのドラマや映画だと、こうはいかない。
 母と娘の役なのに、姉と妹に見える。中年以上の女優がその年齢にふ
さわしく老けていない。だから、話に感情移入できなくて、気持ちが離
れる。
 人は、相手が自分より年上か否かを瞬時に的確に判断できねば社会生
活に難が生じるので、その能力に欠けることは社会的に致命傷。年齢不
詳のニホンの女優に混乱される私の感覚はしごくまっとうなのではない
か。
 私が2000年作のDVD『レ・ミゼラブル』を観る直前の七月三十一日に
ジャンヌ・モローが他界した。八十九歳だったそうで、修道院長役でシ
ワシワの顔をさらした当時、彼女は七十二歳だったのか。
 その年齢のニホン人は、一般の人でもあれほど皺深くならないかも。
 しかし、そういうニホン人はむしろ不幸ではないか、と感じる。
 若いのは外見だけで、精神は老成し、小娘がどう足掻いたって太刀打
ちできない、という域にあるならいいけれど、外見に似合った幼稚さで
良しとし、成熟に背を向ける人が多い気がするからだ。
 若く見えても、そのうち老いる。確実に衰える。
 けど、精神は。
 どこまでも高みを目指せる。
 自らの容姿が、自分自身が憮然とするほど変貌し、若さとの決別を迫
られてようやく、大人がちゃんと大人になる覚悟を持てるのだとしたら。
「お若く見えますね」
 よい歳の大人がそう言われたら侮辱だと憤怒する。そんな社会になる
といいな。