一瞬の判断

 前回、老けない不幸、について考えた。老けない、は言い過ぎだが、
年齢に見合いすぎる変貌で驚かされるのは西洋人で、たとえば、とフラ
ンク・シナトラを思い浮かべた。
 彼の若い頃の顔はコオロギで比喩できる。
 三角コオロギ。
 この名前で合っているか調べたら、「ミツカド」コオロギと読むです
って。
 コオロギ捕りに行っていた小学生の頃の私は、正しく呼べていたのだ
ろうか。大きくなるまで「月極」駐車場を「ゲッキョク」と呼んでいた
ことを思うと、字を優先して覚えていた可能性は高い。だとしたら、今
頃になって知る正式名。ショックで、書くのをやめた。
 ところで、以前、白髪美しきフランス人の知人女性から、ニホン人は
歳を取っても髪が黒くて羨ましい、と言われ、
「えー、みんな、染めてるんですよ!」
 甘き幻想を壊してあげたことがある。
 一方、私が、西洋人は髪を染めてもわからないからいいな、とフラン
ス人の女友達に言ったら、
「あの人は染めている、あの人は染めていない」
 と街で見かける女性について次々解説してくれ、要は、ちゃんと見分
けられる、と言うのだ。
 そう話す時の彼女は、他人の嘘を暴こうと躍起になって、ちょっと意
地悪そうに見えた。
 でも、テレビで皺や法令線があって当然のはずの女優達がつるんとし
た肌なのを見ると、整形というほど大がかりでなくてもヒアルロン酸
射とかに手を染めているのかなあ、と食い入るように見つめたくなる。
 人の目を誤魔化せるほど人工の技術が高度になると、それを利用して
いるのか否かを知りたい、と思うのが人の心の自然なのかも。
 家の近くで見知らぬ人とすれ違い、知らない人のはずなのに、その人
を知っている気がすることがある。
 遠ざかってからも記憶の底を探り、薬剤師、看護師、スーパーのレジ
など、それぞれ職場でお世話になっている人達だと思い至る。
 私服なので気づくのが遅れたけれど、帽子や服で印象が変わっても、
ちらっと見た顔が、記憶の中のその人と正しく結びついたとわかって、
そんな能力があった自分自身に感激させられる。
 が、ということは、誰かと会った瞬間、今までと印象が変わった、何
か変、と感じたら、そのあと、まじまじ見て、私の思い違いかな、と当
初の印象を打ち消したくなっても、最初の一瞬の判断が絶対的に正しい
ってことなのだろう。
 最初の一秒間に感じた違和感。
 言葉でうまく説明できなくても。
 言葉で説明できないところに真実がある。
 人の認識能力ってすごいんだなあ。