病院で拷問死は、いや

 七月二日に桂歌丸慢性閉塞性肺疾患COPDで亡くなり、その末期
の状況を弟子の桂歌春が語った内容をインターネットで読んだ。
 私のおじも同じ病で亡くなっている。
 果たして、危篤を過ぎて意識が回復して苦しさを実感するようになる
と、桂歌丸は、
「苦しい、楽にしてくれ」
 と言い出したそうな。
 二ヶ月間飲み食いできず、呼吸器で鼻の頭がすりむけ、呼吸は苦しく、
そういう歌丸を見て、そんな一番苦しい時に楽にさせてあげてこそ本当
安楽死ではないかと思ったという。
 やっぱり、普通はそう思うよね。
 同じ病で死んだおじを思う私。
 そして、命が尽き、すべてから解放された師匠に、
「お疲れ様でした」
 と言葉をかけた、というのも普通だ。
 が、私の中にふつふつと憤りのようなものが湧いてきた。
 その「お疲れ様でした」には、無理に延命されたあいだの師匠の苦し
さをねぎらう気持ちもあったはず。
 病気になって病院を頼った果てが、こういう死なされ方なのか、とい
う憤りである。
 今、市井の人達が語り始めた。
 認知症になり、口から食べられなくなった母に胃瘻を勧められ、静か
に最期を迎えさせてやれないかと相談したら、
「そんな場所はない、母親が餓死するのを看取れるのか」
 と医師に一喝され、胃瘻で十年以上寝たきりの末、母が逝った、とか。
 脳出血で意思疎通ができなくなった母親に胃瘻をつけ、十三年間在宅
介護して看取った人は、母が肉体的に辛くなかったかと今も葛藤が残る、
と書いている。
 胃瘻が悪者のように言われ、診療報酬も下げられ、医師は、鼻もしく
は中心静脈からの栄養注入へと誘導されているが、同じこと。
 集中治療室もそうだ。
 絶えずうるさい機械音にさらされ、人が物のように扱われる、という
だけでなく、無事に生還できたとて、ICUの非人間的な環境のせいで
後遺症が出る人が多い、とは知らなかった。
 そうと知って調べたら、別に隠し立てされた情報ではなかった。知識
がない私が、ICUと聞くと、勝手に魔法のような治療をしてもらえる
イメージを持っていただけである。
 ICUで治療しても、すたすた元気に歩けるまでの回復は期待できな
い寿命直前の年寄りを、それでもICUで治療するのは、いじめか人体
実験になりそうだなあ。
 しかも、そういうすべてが医療費を押し上げる。
 不必要な治療で肉体的に苦しめられて拷問死したくない、と願う場合、
どうすれば、病院と円満な関係を築けるだろう。