はぁ・・・? 夏時間

 昼間の蒸し暑さが引かないものだから、まだ夏のように錯覚されそう
だが、日暮れは早まっている。風がすーっと涼しくなったら一気に秋を
感じて、寂しくなるだろう。
 しかし、各地で四十度越えを記録した今年の夏を思うと、来年、再来
年の夏はどうなるだろう、と恐ろしくなるのもまた事実。
 二年後、東京五輪が七月二十四日から八月九日、パラリンピックが八
月二十五日から九月六日に開催されるということで、サマータイムの導
入が政府の与党内で検討され始めたとか。
 えぇ・・・。腕時計は手動で時刻を変えなくちゃいけないし、ほかに
もありそう。面倒だなあ。嫌だ。
 そんな個人的なぼやきで済む話ではない。
 今やITの世の中。
 夏時間に変わる直前に一つのミスもなく変更して、夏時間が終わった
ら再び戻す、と考えると、そりゃあ、業界の当事者から反対の意見が出
ても当然だろう。
 だいたい、過去に一度、夏時間の話が出て不採用になった一つの理由
に、南北に細長い日本、という領土の特殊性もあったではないか。
 夏至の頃の日の出の時刻は、那覇は五時半過ぎだが、札幌は四時前。
 全国一律で一時間早められたら困る地域が出てくることがわかるだろ
う。
 私はとても不思議に思う。
 要は、年々夏の暑さが尋常でなくなってきたことが問題なのだとした
ら、なんで、大がかりなことになる時計の針を操作する、という唯一の
発想しか思い浮かばないのか。
 人間の思考の柔軟性をもってすれば、
「この二ヶ月間だけ、仕事は九時、五時ではなくて、七時、三時にする」
と決めればいいだけではないか。
 余計なお金はいらないし、一番簡単で、一番弊害がない解決法である。
 が、強制力がないと、個々の会社や学校が、「いや、うちの社から得
意先に言うのは・・・」とか「海外の取引先との関係で、それはちょっ
と・・・」など、様子見が横行して、実現しないかも。
 ということは、国が「我が国の夏は暑いから、七月と八月の間は、日
の出の二時間後から社会全体を始動させる期間とする」みたいなことを
宣言して、交通機関などが始発前の時間帯を特別に増やし、人々がそう
動きやすいようにすれば、どうだろう。
 人々が、太陽と共に一日を始めるのだ、と頭の中で了解するわけであ
る。
 その程度の柔軟性を発揮できなくて、なにが人間か。
 この柔軟性は、森友学院、加計学園の決裁文書をこそっといじった一
部の人間の悪知恵とは全く異なる、本来的美質なのだ。