私が桜の花を撮ると

 桜の枝が揺れたら、鳥がいる。
 鳥が花の蜜を吸うなんて、知らなかった。
 まあ、ウグイスをメジロだと長年信じていたような私だからなあ。
 これに関しては、花札の「梅に鶯」のウグイスがメジロに瓜二つで、
本物のメジロを見たことがない私は、そのデフォルメされた絵に誤解さ
せられた、という私なりの弁明はあるんだけど。
 それはさておき、先日、桜の枝が揺れるので見たら、メジロだった。
 一度は本物を見てみたいと願っていた私に、なんたる好運。
 早速、携帯で撮ったら、背景の空が明るすぎて、桜の花も枝も黒いシ
ルエット。小さきメジロは完全に枝の一部と化している。
 でも、この目で見られたからいいんだ。
 ところが後日、同じ場所で再びメジロに遭遇した。
 しかも、高らかに鳴いている。
 そうか、君はそういう鳴き声だったんだね。
 私はまたもや携帯を取り出すが、今度は動画撮影にした。
 ほしいのは、枝から枝に渡る姿ではなく、声。
 家で飼っているカナリアの鳴き声は朝のアラーム音に使っているので、
メジロの声は電話かメールの着信音に使いたい。
 すると、通りかかった小さい女の子とおばあさんが会話を始めた。
「あ、メジロや」
「え。なんで名前知ってるん」
「じいじが教えてくれた」
 二人の会話が途絶えるのを待っていたら、メジロが先に飛び去った。
 私の携帯にはボイスレコーダーという優れた機能があるので、それを
思い出せていたら、「でも動画も良い構図で撮りたい」と欲張らず、さ
っさと録音できていたかもしれないのだが、録音できなかったおかげで、
録音よりも写真よりも、実際に自分の耳で聞き、目で見るに如(し)く
はなし、と思い起こせ、この顛末で却って良かったかも。
 しかし、そんな風にあっさり納得しきれなかったことが一つある。
 人が何かしていると、それを見た赤の他人が、なんで、それを話題に
会話を始めるの。
 満開の桜を写そうとデジカメで桜を見上げて立ち止まった時には、そ
ういう私の横を通り過ぎる父親と子供が、女の人同士が、赤ちゃんを乗
せたバギーを押す母親と祖母が、突然、桜を話題にした会話を始めた。
 デジカメを持っていたらしい男の人は、私の数歩先で立ち止まると、
一枚撮っていったし。
 私は、あなた達のきっかけ?!
 でも、不快ではない。
 人って、その気になれば、意外にたやすく繋がり合えるのかも。
 一人でも、孤独ではない。
 そう感じさせられて、むしろ勇気づけられたから。