長寝、長風呂

 朝、日が差すと、リビングの窓ガラスの上から下までびっしり付いた
水滴がきらめき、ほれぼれする美しさである。
 冬ならではの風物詩。
 だが、見とれてばかりはいられない。
 ガラス面の広いワイドビューはそれだけ夜露が多く張り付く。その対
策に24時間換気がついているという話だったが、そんなもんで太刀打
ちできる様子はないし、何より電気代がもったいないので、スイッチは
年中切りっぱなし。
 しかし、美しさの裏でこっそり家をむしばみにかかってくる水滴をそ
のまま放置するわけにはいかない。これまでは、布巾で拭いて、こぼれ
落ちる水滴を下に敷き詰めた雑巾で受け止めるという原始的方法に甘ん
じていたが、技術進歩著しい現代なのに、もっとスマートな方法はない
のか、と真剣に腹を立てたら、掃除機の先端とそれに続く筒の一部に似
た形状の水滴取りに出会った。下から上に動かすと、ちゅるちゅると筒
の部分に水滴が溜まってゆく。行為のスマートさにも満足である。
 ただ、やっぱり時間は取られる。
 冬至を過ぎ、空が白む時刻が段々早まってきているが、そんなに早く
起き出してもなあ、と、つい、あったかい布団にしがみついて新生児も
どきのロングスリーパーになるし、夜は夜で、風呂に入れば長湯。夏と
違い、いくら入っていてものぼせないのをよいことに、徒然(つれづれ)
なるままに思考を巡らし、何時間でもそうしていたくなる。
 学生時代は、風呂の湯に耳が浸って目が覚めたり、「また、寝てるん
ちがうんか」と家族に声をかけられたが、あまりにうるさく言われた結
果、私も、風呂でまでうたた寝することはなかろう、と改悛した。
 今は、ばっちり目覚めた状態で小一時間。
 唯一の問題は、ほかの時間にしわ寄せがいくことである。
 みんな、一日の時間をどんな風に工面しているんだろう。
 って、自分のしたいことをまず優先させようとする傲慢な姿勢が問題
なだけなのだが。
 でも、自分を正当化したい私は、昔の冬はそうだったのだ、と、出稼
ぎやら家の中での藁仕事などは知らない振りの勝手な部分肥大解釈を持
ち出してきて、一向に態度を改める気はないのだった。