買わなかったネックレス

 デパートで、マネキンのネックレスに目が吸い寄せられた。
 小さくカットした黒いガラスが数珠繋ぎに三連になったロング・ネッ
クレス。
 ああ、素敵。
 深いエンジと濃い緑のもあり、どれも甲乙付けがたいのは、ガラスの
質が良いからだろう。
 私はエンジかな。ガーネット系の赤は、私の肌と心によく馴染むのだ。
 一万円強という値段が高いの安いのか、よくわからない。
 いや、高いと思うが、じゃあ、もっと安いのを探せばいいかと言うと、
心を奪われたのが思ったより安い場合は別として、まず値段ありきで選
ぶと、ほとんど使わず、これなら買わない方がよかったという結果にな
ることも多い。
 なので、その物に宿るロマンティックに私の心が呼応してときめくこ
とが肝腎で、次に、値段が許容できれば買うし、許容できなければ買わ
ないまでのこと、というのが、私に合った買い方のようである。
 ただ、ネックレスは今年に入って二つ買っていて、さらにもう一つ買
う必要があるのかは頭を冷やして考えたい。
 一週間後に行ったら、エンジのが消えていた。
 あの美しさがわかる人に買ってもらったのね。
 普通はそれで諦められるのに、同じブランドを扱う別のデパートに見
に行った。
 エンジのが飾られている。
 ところが、光り輝く感じがなくて、これでは買いたい気持ちは芽生え
ない。
 おかげで、そのネックレスのことをすっぱり放念できたが、初めにど
れほど感激しても、何度も見ているうちに、たいしたことがないように
見える瞬間は訪れるものなのだろうか。
「だまし絵」の中で代表的な「ルビンの壺」は、中央の白の部分の輪郭
が強く意識されたら花瓶に、周囲の黒が強調して感じられたら、二人の
人物が向き合っている横顔に見える。
 どちらに見えるかは、単にその時の脳の揺らぎ次第であると脳科学
研究によって解明されたそうな。つまり、私の目に、時に花瓶、時に人
物に見えるってこと。
 じゃあ、やっぱり、待っていれば、いつかは、是が非でもアレを手に
入れたいと思い詰めたのは摩訶不思議、と自分で自分の気持ちに首を捻
ることは起こり得るのか。
 物を買えば、物が増殖する。
 それも好きじゃない私は、なんであれ、できれば買わないという結論
に到達したいが、「ほしいと思わないから買わない」と感じられたら一
番気分いい。
 脳の揺らぎを活用すればそうなれるのなら、私は、これからも、買う
前にたっぷり自問自答の時間を取ることにしよう。