選べる自由

 年末にフランスの友人とSkype電話をしたら、私の声がぶつぶつ途切
れて聞きづらいと言われるので、喋りながらSkypeのバージョンを確認。
 以前にも、私の声が、途切れるどころか、ボアボアくぐもってほとん
ど聞き取れないと言われたことがあったが、その直前に日本国内の友と
会話した時は問題なかったので、
「変ねえ。あとで調べてみて」
 あなたの側に問題あり、と仄めかしておいたら、次に日本国内の友と
Skypeすると、同じ現象を訴えられ、え、私の側の問題だったの。
 いろいろ調べるも、どうすればいいかわからない。
 とりあえず、最新バージョンの存在には気がついたので、アップデー
ト。
 すると、次回の電話では通常に戻った。
 一度こういう経験があれば、聞きづらいと言われたら、反射的にSkype
のバージョンアップを疑って当然だろう。
 でも、私のは、まだ最新バージョン。
 友が言う。
「ITに強い友人が、マイクロソフトSkypeを買収してから、無料通
話の音質が悪くなった、きっと、有料のを使わせようという魂胆なんだ
って。このあいだ、別の人とSkypeした時も声が途切れたし」
 ふーむ・・・。
 あなたのパソコンはウィンドウズ。そんなお得意さんに、そんなこと
をしれっと言われてしまうマイクロソフトって、一体、どんな企業イメ
ージなんだ。
 私なんかWordとExcelでしかお世話になっていないのに、
「人は、無料ので満足できなければ、有料のには手を出さないと思う。
だから、その理屈はどうかなあ」
 なぜかマイクロソフトを擁護するようなことになってしまった。
「私はITのことはわからないから」
 友は無難なことを言って、私か、ITに強い友か、どちらの言い分を
信じるのかの明言を避けた。
 こういうたわいない雑談なら、そうするのが大人の賢明さであろう。
 だが、それでは済まない時がある。
 一つの事象に対して相反する二つの見解がもたらされた時、自分はど
ちらに与(くみ)するのか。
 この人が言っているから、という「この人信奉」でなびくのは危うい。
 結果が不本意なことになったら、平然と、自分に責任はないと言い出
すだろうから。
 どんな結果になっても腹をくくれるよう、自分の頭で考え、判断する。
 そのためには百パーセントの情報がほしい。
 いつも入手できるとは限らない。
 それでも選択せねばならぬ時があるのが、人生。
 除染すればまた住めると信じるのか、信じないのか、とか。
 選べる自由。
 幸せの基本。
 けど、実は、その一つ一つがとてつもなく重いものなのだなあ。