嬉しかった年賀状

 年賀状っていいなあ、と思うことがあった。
「同窓会の時に住所をもらったのに、気がついたら、年を二回越してし
まいました」
 のひと言と共に、中学時代の友から年賀状が届いたのだ。
 二年前の冬、彼女は同窓会に出席するため関東からやって来た。
 遅刻寸前に到着した私は彼女とは席が遠く離れていたが、遠目にも、
彼女の前髪は不自然なまでに短い。
「癌で入院していました」
 彼女がスピーチの中で話し、ああ、そのせいだったんだ。
 会がお開きになり、みなが出口に向かおうとする流れに押されて彼女
のそばに辿り着いた私は、彼女から声をかけられ、その場でしばし話し
込む。
 同様の行動に出る人達で、流れが淀んで膨れあがる。
 話す時間はいくらでもあったのにね。
 けど、女の人って、最初に席に着いたら最後までそこから動こうとし
ないから。それも仲の良かった者同士で固まって、周囲と孤絶。
 そんな光景に、当時の派閥のようなものが思い出されてきて、
「なんかなあ」
 と思っていた私自身、みんなのスナップ写真撮影を理由にデジカメ片
手に席をくまなく回ったけど、誰かと話し込むには至らなかった。
 二次会に行けば、話せなかった人達とも話せそう。
 でも、やっぱり見えない壁で跳ね返されたりして。
 そうだと後味悪いしなあ。
 うーん。面倒くさいから、来る途中、地下鉄の中で落としたネックレ
スが届いているか調べに帰ろう。
 そう決めた私に、彼女が、
「じゃあ、手紙を書くわ」
 私はプライベートの名刺を渡した。
 彼女の住所を聞かなかったのは、すぐにも彼女からの手紙が来ると信
じたから。
 ところが、なしのつぶて。
 よっぽど幹事から聞き出そうかと思ったが、そうしなくてよかったと
今は思う。
 内なる時のリズムは、人それぞれだから。
 彼女が二年目にして便りをくれたということは、その気になるのに二
年かかったということなのだろう。
 でも、合図をくれたからには、私は心置きなく返信できる。
 便箋に二枚の手紙となった。
 もう一人、突然年賀状を送ってきたのは、高校時代の同級生。
 彼女からの年賀状は、ここ数年、私の長い住所の最後が途切れていた。
翌年の年賀状でそう指摘しても、また途切れた印刷で来る。それでも配
達されていたのが、とうとう来なくなった時に、私からも送るのを止め
た。
 それが、今年、突如として復活。
 宛名印刷の文字は縮小されて、宛名も漏れなし。
 なにか心境の変化でもあったの。
 聞きたくなったが、何も考えず、素直に喜ぶことにした。