腕時計の文字盤は、針が指す十二箇所がすべてシンプルな棒状でいい、
というのが私の好みだが、もし、アラビア数字であれローマ数字であれ、
そういうのがあるべき理由がわからない、と言ったら、私の趣味の押し
つけになる。でも、心密かにそう思っている私。
年配の人は特にアラビア数字が入っているのを好む、うちの母親がそ
うです、と百貨店の時計売り場の店員に言われて頷きかけたが、アラビ
ア数字がないのは最初に却下、という若い友がいることを思い出した。
それに、数字がおしゃれに踊っているのは、時刻を見るには不便だが、
格好いい腕時計だと人から羨ましがられたくて付ける人には、文字盤の
見やすさは二の次なのだろう。
ただ、店員と話したおかげで、私が数字入りを嫌う理由がわかった。
私は、時刻を、数字に頼らず、位置で認識しているのだ。
だから、数字は、おしゃれな装飾だとしても邪魔になる。
壊れたスウォッチの腕時計を見てみたら、十二の位置に同じ大きさの
丸が配置されただけのデザイン。秒針もない。それを買った時は意識し
ていなかったが、私はちゃんと私好みのを選んでいたんだ。
人間ってすごいなあ。
私のようなタイプの人の理屈を考えてみた。
アラビア数字は一時、二時・・・という切りのいい数字を理解する場
合は役に立つが、七分、十二分・・・のように分を読む時は、数字に気
を取られて、迷惑なだけ。数字があった方が便利な確率はわずかに五十
パーセント。
だから数字は目障り、という判断になるのだ。
しかし、だから必要、と判断する人達は、その五十パーセントを高評
価するのだろう。
シャネルに十二の位置の目印すらない腕時計があるが、あれが、私の
ようなタイプの人向けの究極なんだろうな。
今回私が買ったのは十二の位置に棒状の目印がある腕時計だが、実は
一秒ごとの場所にも細い棒状の目印がある。おまけに秒針もある。これ
までは大雑把に時刻がわかればよく、たとえれば海の中から地上の景色
を見ている感じだったのが、今は海から顔を出してすべてがくっきり見
えるようになったみたいで、一秒ごとに秒針が動くのに目が吸い寄せら
れ、ストップウォッチを見ている気分になる。
それにしても、空間の位置把握に情けないほど能力がない方向音痴の
私が、二次元の位置把握には秀逸なる能力を発揮できるとは。
私の心が納得する腕時計を探し続けたら、思いがけなく自分の知らな
かった一面を発見することになった。
買い物は楽しい。