ニホン的支配

 引き続き、フランス人と結婚した友の話を題材にする。友よ、許せ。
 彼女は、母親の知人から誘われ、フランス人のダンナと一緒に外食に
参加したが、ダンナは始終仏頂面。
 後日、母親から、
「ああいう態度は恥ずかしい」
 と愚痴られたそうな。
 そういうことがあると板挟みになり、どうしたらいいか困る、と友。
 私は質問した。ダンナは一緒に行くことを快諾したのかと。
 返事が曖昧なので、ははーん。
「小さい子供でもあるまいし、無理矢理連れ出されて、そのうえ愛想良
くしろって言うのは、無理じゃん」
 私はダンナの味方。
「でも、ニホンの社会はそういうものだし、いつかニホンの会社で働く
ことになったら彼が困る」
外資系の会社で働けばいいんじゃないの」
 彼女の懸念は、かくも簡単に解消できるのである。
 だいたい、ダンナも馬鹿じゃないから、仕事絡みの時は嫌でも愛想良
く振る舞うだろう。
 要は、完全に私的で、だからダンナは自分の思いを尊重されて然るべ
き状況なのに、意に反することをせよと求められたわけだが、その際、
彼女がどういう態度でダンナを説得したのか。
 もし、
「ねえ、いいでしょ〜」
 意味不明の態度で押し切ったのであれば、それは支配。ダンナの心の
中に不満がくすぶったとて、当然だろう。
 ニホンの社会はそういうもの。
 ふーん。で、それで幸せですか。
 フランスに住んでいた時のこと。
 ある日、私は、フランス人親子の買い物に同行した。小学生の息子が、
誕生日に買ってもらう腕時計を選びに行ったのだ。
 ショーウィンドーに飾られた腕時計を見て迷う息子に、しばらくして
母親が一つの腕時計を指差した。そして、その配色がいかに素敵か、熱
心に語り始める。
 息子はそれを選んだ。
 あれまあ。
 なんて見え透いた誘導作戦。
 私はそんな手口を使った母親を軽蔑したが、すぐに尊敬に変わった。
 ニホンだったら、と思ったのだ。
 子供が、コレがほしい、と選んでから、それは駄目とか、こっちにし
なさい、と親が言い出し、そうさせることが多い気がしたのだ。
 支配である。
 理由なしに子の決定を却下するのだから。
 その点、このフランス人の母親は、息子が選ぶ前に外交的戦術を駆使
して息子の気持ちを誘導し、結果を待った。
 言葉はこう遣ってこそ、を学ばされたなあ。
 それに、決定までのいきさつがどうであれ、ひとたび選んだら、その
決定が尊重され、それを選んだ責任を負うのは自分自身、ということが
明確になり、人のせいにできない。
 その爽快感。
 私は好きだ。