「愛情」が「発情」?!

 私は占いをする。占いの困ったところは、ちょっとでも自分にその自
覚があると、一気に「そうだ!」と思い込んでしまうことではないか。
 中学生の頃読んだ占いに「あなたは本棚を本で埋めるのが好運」とい
うようなことが書いてあったからいけない。何がいけないって、読みた
い本をすべて買えるわけないのに、「買え」と言われているようなもの
だからだ。だが、本屋にすべての本が置かれているわけではないし、お
金ができたら取り寄せればいいか、とのんびり構えていたら、絶版とい
う手厳しい罠が待ちかまえていたりする。そんな当たり前のことに気づ
くまでに随分時間がかかった。
 だが、叔母のおかげで図書館の効用に目覚めることになった。数年前
のことだ。もっとも、当初は、本がただで読めるという実利を目の前に、
「私だけの蔵書」という崇高なる理想が敢えなく屈服させられてしまっ
ただけなのだが。
 今の私は、図書館に行っても、受付けにしか立ち寄らない。インター
ネットで読みたい本を予約する道に踏み出したら、予約画面で、その本
の予約者数や、我が町のどこの図書館の所蔵か、など、居ながらにして
豊富な情報が入手できる。
 何より、入力の仕方次第で、目的の本以外にもずらりとリストが提示
されるのが嬉しい。おかげで、ついつい予約冊数が増え、60冊に到達
すると「これ以上予約を受付けられません」と却下されることを知った。
 ところで、読んだ本の中で切り抜いておきたいような文章に出会うと、
私はコピーを取る代わりにスキャナーの日本語認識ソフトでパソコンに
取り込む。
 しかし、このソフト、認識力を過信してはいけない。きょうは、さく
らという犬が「尻尾をちぎれんばかりに振って、鎖をつける兄ちゃんの
手首を愛情こめて噛んだ」のはずが「発情をこめて」になっていて、一
瞬、私の周囲の空気が凍った。
 ちなみにこの本の題名は『さくら』。手にした時には、いつ、なんで、
こんな本を借りる気になったのだろう、と自問自答したものだった。書
評や広告が目についたら即予約、という機械的行為が、時折、このよう
な事態を引き起こす。
 今もって予約した動機は不明。ではあるが、この本、ちびまる子ちゃ
んの小説版のようで、結構よかった。