大人になったら西洋人?

 職場の女性の髪型が変わったので、「また髪を切ったのですか」と話
しかけた。「ついこの間、切ったばっかりだったのに」。
 すると、あれからもう2ヶ月は経つと言われて、「ひぇ〜」。
「人の髪の毛をカレンダー代わりにしないでよ」。
 しかし、しみじみ、“光陰矢のごとし”である。そう言えば、もう、
年賀状用に宛名ソフトのバージョンアップ案内が届いていたなあ。あと
3ヶ月あまりで今年は終わるのだ……。
 私の髪は自然に波打っていて、ほとんどの人に、ヘアサロンでそうし
ていると勘違いされている。知人のフランス人も、つい最近までそう信
じ込んでいたことが判明した。彼は日本人の代表のような直毛である。
 私は縄文人弥生人の血を引く立派な日本人の端くれ。幼い頃は、と
ても美しい天使の輪を有していた。それが、歳を取ると根性に比例する
ものなのか、今や見事に天然パーマである。
 そう言ったら「古う〜」と笑われた。「それを言うなら癖毛でしょ」。
 え、それって「天パ」以前に流行った言葉じゃなかったっけ。
「縮毛」は私の中では黒人の縮れ毛のイメージなので却下なのだ。
 以前、母親に「みんなは髪の毛が艶々しているのに」と言われたこと
がある。カールしていると光が不必要に乱反射するのか、艶がなく見え
る。この言葉を根に持っていて、随分経ってから蒸し返したら、今度の
母の言葉は「パーマをかけなくていいから、羨ましい」。
 まあ、一生パーマ代が浮くということに関しては、私も天の恵みの幸
運であると喜んでいる。
 ただ、生まれつきなのに人工と見間違われると、「天然と人工の差も
わからないの!」と歯ぎしりしたい気分になる。本当は、うふ、また、
一人騙せたワ、と心の中でにんまり笑ってやり過ごせる度量がほしいと
ころなのだが、まだ、その境地には至っていない。
 ちなみに、子供の頃だけ直毛なのは、その頃は髪が細く柔らかいため、
本来の癖毛の特徴が表面化しないからだとか。
 髪の毛を下ろしていると首筋が温かく感じられる季節になった。
 が、鏡を見たら、頭のてっぺんの髪の毛が好き勝手につんつん飛び跳
ねている。
 かみなり小僧じゃあないんだから、なんとかせねば。
 ん。こういうかみなり小僧のイメージって、私だけ?