「今」が最高の稀少価値

 秋物が店頭に出揃った。ジャケットは、ベルベット素材のショート丈
が今年流。ショート丈はロングのフレアスカートと相性が良く、個人的
にこのシルエットへのファッション回帰を希望していたところ。それに、
ベルベットは着るだけでぱりっと正装の雰囲気に包まれるので、もう何
ヶ月もTシャツ中心でふやけかけていたおしゃれ心をうずかせてくる。
 早速、デパートに行った。
 気に入ったのを二着発見。しかし、二つとも没。
 私は日本女性の理想身長をクリアし、背が高い部類。だが、バストは
シャラポアよりはましかという程度。その私が、である。着用して胸が
閉まらないってどういうこと。11号すなわちLサイズでこれなのだ。ブ
ラウスでも、こういうことがままある。なのに、私が拒食症に走らなか
ったのは、骨を削るしか方法はない、と賢明にも見抜けていたからに他
ならない。しかしなあ。もう、そろそろ、日本のメーカーも、特異なモ
デル体型以外にも愛を振りまいてくれないかなあ。それも、「この程度
で充分じゃろ」と、いきなり気を抜いたシルエットでお茶を濁すんじゃ
あなくってさ。
 結局、デパートより格下の店で、まあ及第点か、と見なせるものに出
会い、購入と相成った。13号。予定より半額以下の支出に納まったが、
正装というよりカジュアルに傾いた印象になるのは仕方ないか。まあ、
気軽に着て、着倒せばよい、と考えれば、無駄な出費が防げたという判
断になるかもしれない。
 ファッション誌に、よく、高級カシミア素材の服などを、「一生もの」
と紹介するコメントが載っているが、あれは嘘、と冷めた気持ちで見抜
けるまでに私も進歩した。
 素材の良さは一生ものでも、シルエットは古びるのだ。そこをぬぐっ
て生き延び、未来に復活を果たす服は本当に稀少である。よって、高価
だからと滅多に袖を通さないのは愚かさと同意語であるとわかった次第。
 温かい飲み物が恋しい季節が舞い戻り、冷めにくい二重構造が売りの
銅製のマグカップを半年ぶりに出してきた。いたく愛着がある。にもか
かわらず、久しぶりで対面すると、毎日の使用で表面に無数の傷が付い
たそれは、もはや使用期限を過ぎたと、それ自身が恐縮しているように
も見える。
 物を大切にしたい私であるが、それと向き合った時の弾む気持ちも日
常生活に欠かせないエッセンスだよなあと思う。
 これもデジカメ記録行きかなあ。
 捨てるに忍びない物達をデジカメでパソコンに保存しておくことで、
心理的に手放しやすくなった昨今なのだ。
 デジカメに感謝。