月旅行なら

 中学生の図工の時間、どういう課題だったかは忘れたけれど、画用紙
一杯に大きく蟹を描いた。それを見て、美術の先生が「足の一番外側が
みんな同じ色なのが調和になっているね」と言ってくれたが、なんとか
褒めるところを見つけようと苦心して捻り出してきた言葉だと推察でき、
気の毒に思ったものだった。
 生まれてこの方、「描く」世界が私にとって自己表現の手段となった
ことは一度もない。
 しかし、幼児に英語を教えることになり、絵カードを作る必要に迫ら
れた。市販のものはどれも、当り前のことだが、教えたい語彙を完璧に
は網羅してくれず、帯に短し襷(たすき)に長しだったのだ。そのため
に借りてきたのではなかったが、図書館から借りた幼児向け英語教材に
使えるイラストがあったので、拝借させてもらうことにした。
 初めは鉛筆で薄く下書きしていたのだが、やがて、単純な線だけで構
成されている場合は、いきなり画用紙にマジック描きする大胆さが出て
来た。それでも描けそうな気がするなら、そうした方が線に勢いが出る
と気づいたのだ。失敗しても、ホワイトという強い味方もある。
 この作業を通じて、私は絵心のある人の物の見方を学ばせてもらうこ
とになった。同じように見ていても、彼らは「観て」いる。そして、ど
こまでならば余分な情報を削ぎ落としても、その物を万人に間違いなく
その物として認識してもらえる伝え方ができるかにおいて、素晴らしい
能力を発揮できるのだ。
 翻(ひるがえ)って、私はと言えば、フランスにいた時、仲間の一人
の男性のことを「彼は金髪だから」と言って、周囲を呆気にとらせたぐ
らい目が節穴。「ああ、いつも太陽の下で会うからそう見えたのね」と
弁解したけれど、いつも、というのは大げさで、明らかに信憑性に欠け
る。
 初めての日、子供達は、きらきら輝く瞳で私の絵を見つめ、私をとめ
どなくいい気分に舞い上がらせてくれた。
 が、二回目には、早、その心地よさを当然と受け止める私になってし
まい、慣れるとは恐ろしいことである。
 日本はおろか地球上のめぼしい観光地を制覇したわけでもないのに、
近頃、旅行熱が冷えている私。月旅行だったら行きたい、と思うのは、
刺激に鈍感になってきた良くない証拠かも。