フランス語では売春宿と言う

 買ったジャケットのボタンを変えればぐんと高級感が増すかと思い、
まずは、買った服に予備で付いてきたのや、服を捨てる時にはずしたの
を集めた桐の箱を見てみることにした。
 昔、両親から旅行のみやげにもらったもので、箱の上には刺繍が施さ
れ、その図柄や、長年の使用で少々色褪せた様子まで鮮明に覚えている。
 それが、どこを探しても見つからない。
 引っ越しの時に捨てたのかなあ。
 時折、私は、自分の周りに静かに増殖してしまった物達に嫌気が差し、
ばっさばっさと処分し始める癖があり、もしかしたら、その時に手を下
してしまったのかも。しかし、そうであるなら、中のボタンだけは救済
したはずだと自分自身の行動形態を振り返って確信するから、いや、絶
対、この部屋のどこかに潜んでいるはず、と空しく四方を睥睨(へいげ
い)することになる。
 いざという時出てこないなら、置いておいても意味がない。
 だが、見つからないのには訳がある。
 一番最初が肝腎なのだ。あとでちゃんとした場所に移し替えるにして
も、とりあえずは「ここ」と考え、そのとおりに後日、正式な場所に移
し替えると、それから以降、あるはずなのに見つけられない事態が発生
する。
 そうと気づいてから、面倒でも、初めの時にしっかり場所を確定する
ことにしたのだが、この箱はそのルール施行以前に動かしてしまった模
様。
 まあ、見つかったとて、その中に意に添うボタンが見つからない可能
性の方が高いから、見つからなくても構わないのだが、忘れ去ったはず
の記憶がこんな風に舞い戻り、探せ探せと私をせっつくから、Out of
sight, out of mind. “視界になければ忘れ去る”と達観できもせず、
困ったものだ。
 さらに困るのは、要はいつも視界に入っていれば忘れないってことで
しょう、と、ことわざを逆手にとって、物達が棚やクローゼットから飛
び出し、私の居住空間をじわじわ浸食していること。
 でも、職場は正反対だから、と胸を張ろうとしたら、別の意味で、そ
れでよいのか、と悩みが深まった。