フラフープを持って電車に乗った。なるべく人の邪魔にならぬよう、
連結部脇の三人席の連結部側に座る。と、隣の初老の女性が「それ、フ
ラフープですよね。懐かしい。これから試合ですか」と話しかけてきた。
フラフープと私の関係についてどういう憶測がなされるだろうと不安
だったのだが、こういう見方は想定外で、「まさか!」と苦笑。
この女性は、私の恐縮した口調の否定を聞くと、さりげなく連れの友
人の方に向き直り、「昔、この素材をうちの主人の会社が作っていたん
ですよね」などと言いつつ、自分達の会話に戻っていった。
見ず知らずの人に話しかける度胸と勇気は女性に特有のものなのだろ
うか。だが、女性であり、かつ…と誰もが先入観で付け加えそうなもう
一つの条件があったとするならば、この女性は上品なたたずまいで、そ
の先入観を打ち破ってくれた。
しかし、帰りの車中の女性は、先入観をだめ押しするような人だった。
昼下がり。私の真っ正面に女子高生がどっかと座った。抜いてからわ
ざわざ手書きした眉。長い付けまつげ。足を組んでいるのだが、右の足
首を左の足の膝に乗せる組み方で、私の目はミニスカートの下を辿って
奥の方へと吸い寄せられる。健康的に太くて、シートにつくあたりから、
あり得ぬ風に肉が広がっているように見え、目の錯覚なのかどうか究明
せずにはいられなかったのだ。
さて、次の駅で乗ってきたのが“おばちゃん”という言葉そのものの
人であった。彼女は、女子高生の横に座るや否や、携帯に付けられた異
様な大きさのマスコットの大群について、何か問いかけた。
女子高生の容貌風貌にひるみもせず話しかけたところはあっぱれであ
る。しかし、イヤホンをはずし、素直に頷いて相手の問いかけに答えた
女子高生もなかなかのもの。世代を超えた断絶が意外にあっさり超越で
きると学ばせてもらった気がする。
やがて、私の隣に一人の男性が腰を下ろした。彼は、文庫本を取り出
し、明治四十一年作という章の短歌を読み始めた。なかなかページをめ
くらないことからも、じっくり味わっていることがわかる。
いかつい見かけとのギャップ。だからだろうか。隣に座った私は、爽
やかな風に包まれた。